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2013年9月 5日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 94

  長平とジョン万の漂流話⑵

 8月24日、坂本龍馬記念館での会合で、「土佐の海とジョン万次郎」の話をした。
 ジョン万は、漂流10年目の嘉永5年7月11日(1852年8月25日)に高知城下に到着している。西暦で見ると、161年前の8月25日である。1日違いであるが、何か因縁めいたものを感じた。
 ジョン万は、幡多郡中ノ浜(土佐清水市)出身。天保12年1月5日、宇佐浦(土佐市)の筆之丞の船に4人の仲間と共に乗り込み出航した。ジョン万は、かしき(飯炊き)と雑用役であった。船の大きさは、カツオ船の8丁櫓と比べて2丁櫓程の小船で、土佐沖でアジのはえ縄漁を行っていた。7日の昼頃、突風に遭い、引き返そうとするが櫓が折れてしまう。午後10時頃黒潮に乗り、漂流が始まった。13日にようやく小島が見え、上陸した。
 この小島が鳥島で、先号で紹介した長平と同じ島に漂着したのである。そして、厳しい・苦しい無人島生活を送っていた。
 やがて、アメリカの捕鯨船に救助され、船長の故郷・フェアヘブンで航海術等を学ぶ。その後、捕鯨船に乗り組み、世界の海を航海してたくましい海の男になった。
 彼は、海の男の時代・漂流民の時代・留学生の時代・アメリカ西部の砂金掘りの時代・外国文化紹介の時代・教育者としての時代を経験し、幕末から明治期にかけて活躍する。
 ジョン万(中浜万次郎)は、日本の近代化の基礎作りのための仕事に専念する。その教え子たちが、それぞれの場で大きな役割を果たすことになる。
 その中に、河田小龍のまとめた『漂巽紀略』を読み、大いに啓発された人物・坂本龍馬がいる。また、『漂客談奇』等の漂流記があり、長崎で地下出版された漂流記もあったりする。
 ジョン万が帰国した翌年に、ペリーの艦隊がやって来て日本に開国を迫った。彼の漂流記は、数多くの人々に読まれて日本の進展に大きな影響を与えた。
Dscf2081


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