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2013年5月29日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 79

   さようなら、エチオピア饅頭

 本年5月10日付『高知新聞』に、「エチオピア饅頭 今月限り 香南市の菓子店閉店へ」、「店主死去で家族決断 駐日大使との交流も」という大見出し記事が出た。
 そこで、この饅頭を買いに出掛けた。開店前から長い行列をつくっていた。店が開くと、皆さんは幾箱も買い求めていた。
 かつて、県東部の史跡巡りの案内をした。野市の近森大正堂の「エチオピア饅頭」、隣の夜須町のシナモンの香りの「手結山の餅」の由来話をよくしたものである。私にも、この饅頭は思い出深い。
 参加者の多くの人が、興味を示した。すぐに食べたいとか、土産に欲しいとかの声が上がり、バスを止めてもらったことも有った。
 
 新聞記事に、〈同店は1919(大正8)年創業で饅頭の命名は(略)初代の茂さん(故人)。36年、侵攻してきたイタリア軍に応戦するエチオピアの姿を報じたニュース映画に感動。地元特産の黒糖「白下糖」を使ったこしあん饅頭に名付けたという〉由来を述べている。
 平成になり、テレビ番組でこの饅頭の所在を知ったエチオピア大使がわざわざ2度も訪れ、交流を深めている。国際親善に一役果たした饅頭である。
 翌日の『高知新聞』「小社会」によると、〈素朴な饅頭と名前のギャップに首をかしげた人も由来を知り驚いたに違いない。四国の片隅で侵略者への抵抗を応援していたのだから(略)昭和初期のエチオピアブームは、日本、ドイツ、イタリアの三国同盟と共に消えていった。生き残った「歴史遺産」が有ったことを記憶にとどめたい〉と述べている。
 長い間ユニークな名前の菓子造りに専念されてきたお店に、ご苦労様でした。
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左の白いものは、鶏卵です。

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