« 広谷喜十郎の歴史散歩 69 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩  71 »

2013年3月29日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 70

  現在の中国と水俣

 昔、中国は文化先進国であった。日本から高僧や文化人が命がけで日本海を渡った。井上靖の小説「天平の甍」でも知られるように、鑑真和上は困難を乗り越えて来日し、唐招提寺を開基した。
 現在、日本で開催されている「ボストン美術館・日本の至宝」でも、吉備真備の活躍を示す絵巻が里帰り展示されている。

 最近の報道によると、北京の米国大使館が「クレージーなひどさ」として発表した数値は、汚染評価の最高水準を超えるものである。大気汚染が原因と見られる「白い霧」の発生は次第にひどくなってきており、北京市内では午前9時を過ぎてもヘッドライトをつけて走る車が多くなっているという。
 黄砂と共に、日本へ向かっている汚染物質がないことを願いたい。
 
 1956(昭和31)年5月1日、チッソ付属病院細川一氏は「月の浦の海岸地区一帯に原因不明の中枢神経疾患が多発している」と、熊本県水俣保健所に届け出た。これが水俣病の公式発見の日となった。
 日本化学工業界の一流企業であるチッソがなぜ?と、思った人は多かったろう。特に地元にとっては、市の財政を支えているとも言える企業である。
 細川氏は晩年に、「公害対策」についてのメモ(1969)を残している。「私達の生活環境への素朴な要求は、きれいな空気と水、十分な太陽である。これらを公害現象は侵害している。公害現象による住民の被害を人間の健康被害および疾病だけで評価することは十分でない。生活妨害や物質損害にも重点をおいて考えなければならぬ。(略)公害においては救済よりも防止の方がはるかに重要な仕事であるからである」と。
 以前、高知県の環境政策課の「環境にやさしい暮しづくり推進事業」に参加し、環境先進地になっている水俣市を訪ねた。
 自家でゴミの完全な分別が行われると、地域でのゴミもきちんと始末が出来るようだ。そして、し尿や浄化槽汚泥を肥料に変える事業もある。し尿運搬車が運んできて、全く臭いをも漏らさずに、肥料として製品化している。家庭の生ゴミを分別回収し、完全に二酸化炭素と水に分解する袋に入れて収集する。鶏糞を使って発酵させ肥料とする。その肥料を使って、特産の「サラダたまねぎ」を栽培する。夢がどんどん膨らむような展開だ。
 「水に流す」とか「湯水の如く」というように、水は「無料」、天から与えられるものという意識が強い。しかし、現在水は作られる物である。水が行政から提供されなくなると、私たちの生活は大混乱に陥る。渇水期の水圧制限や時間給水でも辛い。野菜を洗った水、風呂の残り湯、洗顔の水等、もう一度役立てることもできる。     
 東京の両国國技館では、雨水を貯水する設備が有り中水道として利用されている。家庭で設備している人もいる。明日の自分の為に、ちょっと手間をかける。
 日本全体では年間4.5億tもの廃棄物(水に換算すると東京ドーム約364杯分)が出ているという。このまま出し続ければ、きちんと処理しても、いずれその捨て場所に困ることになる。近所に廃棄物処理施設や、最終処分場が出来ると誰も反対する。
 廃棄物を次々生み出す社会経済のままでよいだろうか。いずれ資源を使い尽くし、後の世代が資源に事欠くようになろう。地球上の資源は限られており、将来にわたって経済発展していく為には循環型社会を構築する必要が有る。
 行政を頼るばかりでは、「増税」が待っている。
 水俣の語り部の方の話「自然があって人間が生かされている」を忘れてはならないであろう。
 

 
Dscf1959_2

今回の筆者は、妻・雅子です。

« 広谷喜十郎の歴史散歩 69 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩  71 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/57057952

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 70:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 69 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩  71 »