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2013年3月15日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 68 

  桂浜学園

 南国土佐では、三月の中旬になれば何かと春めいた話題が湧いてくる。その1つに、桂浜への観光客が増えてくる。
 よく問い合わせを受けることは、駐車場の入口近くの山麓の道路沿いの「桂浜学園」と表記した石碑について、その由来を知りたいというのである。
 昭和6年に刊行された大久保千涛著『吾南の名勝』の中に「桂浜学園」の項目がある。そこに〈川田氏は此城山が歴史的に地理的に更に植物的に学ぶべき点が多いので、此名称を附したやうに思はる〉と。
 川田氏とは、高知市久万出身川田鉄彌のことである。浦戸城跡の城山全体が学園と呼ぶにふさわしい場所として、その名称を付した石碑を建てたのである。
 高千穂学園(現・高千穂大学)が大正8年7月に建立した「浦戸城址」の碑を見てみよう。
 明治28年、第5高等学校(現・熊本大学)の学生であった川田氏が22歳の頃、夏休みに帰郷した折に城跡を訪ね、格調高い漢詩を作っている。それが、そのまま刻記されている。題字は東郷平八郎氏である。
 彼は、明治36年に高千穂小学校を創設する。それから幼稚園、中学校を順次開校させ、大正3年には私学として我が国最初の高等商業学校を開設する。一貫教育を行う高千穂学園が完成された。
 彼の建学精神の原点は「桂浜学園」にある。桂浜大鳥居の右側の山手にある石碑「古キ樹木ハ此地ノ歴史ヲ物語ルモノナレバ之ヲ受護セラレタシ」もそれを物語っている。

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