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2013年3月18日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 69

愛知・犬山城を歩く

 東海道新幹線・名古屋駅へ着くまでにいくつかの城を見ることが出来る。
 雪の季節には、雄大な伊吹山は真っ白になり、「雪の女王の城」と化す。夏場は、お花畑で賑わうのだが。
 名古屋駅を間近にすると、新しい小さな城が見える。お金持ちの道楽の城かなと思うと、これは模擬天守・清洲城である。ここには、信長の清洲城があったという。

 国宝・犬山城は北方に木曽川を臨み、天守の背面が断崖絶壁になっている「後堅固の城」である。入場は南方からになるが、南方から天守閣が見えづらい構造になっている。
 尾張と美濃の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わる。小牧・長久手の合戦(1584)では、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が12万人の大軍を率いてこの城に入城し、小牧山城に陣取り、徳川家康と生涯唯一の直接対決をした。    
 天守からの眺めは素晴らしい。花の季節の賑わいが想われる。城下町は、かつての面影を残しながら地域に生きづいている。天守への緩い坂道は、現在も商店街であり、観光客の遊歩道でもある。

 有名な茶室・国宝「如庵」も訪ねてみた。大名茶人・織田有楽斉の茶室である。現在は、名鉄ホテルの敷地内「犬山苑」の中にある。そこでお茶をいただく。茶碗の内底に、織田木瓜の家紋がある。「如庵」は、外から覘き見るだけである。立ち入り禁止の括り石が置かれている。
 如庵は、元来京都・建仁寺の正伝院にあった。明治以降転々とし、大磯の三井家別邸にもあった。三井の社長でもあり、茶人としても高名な益田鈍翁(孝)がよく利用したという。明治中期頃は、茶が紳士の嗜みであったらしい。
 織田有楽(長益)は、秀吉の御伽衆として摂津の国に、二千石を領した。この頃、剃髪して有楽斉と称す。姪の茶々とは庇護者としての関係にあった。江戸時代から「有楽の茶は客をもてなすをもって本義となす」と、評されていた。

 犬山城は、戦国時代には織田氏の所領となり、江戸時代には尾張藩付家老・成瀬氏の城下町として発展し、城と共に当時の町割りは現在も見られる。
 





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