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2013年2月22日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 65

 龍馬の大雪像が立つ

 毎年、札幌雪祭りは数多くの人々を集め、大にぎわいである。
 昭和60年2月には、ここに坂本龍馬と高知城の大雪像が現われ、大きな話題になった。龍馬は、高さ15m、隣接の高知城は、8mの高さであった。大きさもさることながら、一番の苦労は〈やり直しの連続で苦心の末に完成した龍馬の表情には、温かい笑みが浮かび上がり、桂浜の像に勝るとも劣らない白銀の大雪像がここに出来上がった〉(県民グラフこうち210号)。真駒内の会場には、例年より約10万人も多く、42万人が訪れたという。
 この建造には、北海道高知県人会などの「龍馬の会」が中心となり、募金活動を行い、実現した。高知県から移住した人々が、高知県北海道事務所にそっと寄付金を寄せたとも聞いた。

 この頃、北海道東部オホーツク沿岸の常呂町土佐地区の開拓の歴史などを調べていた。ここの『開拓誌』を読むと、高岡郡佐川町の人びとが中心となり、明治28年5月に「北寒ヒグマの郷」といわれた原野の地に、開拓を始めた。自然災害に遭い、ふるさとを夜逃げ同然の状態で北海道にやって来た。入植当時の住居は〈言語を絶する粗末なもので、辛うじて家族全員が身を入れるに足る程の広さ〉で、冬は〈夏物同様で零下20度、6尺近い積雪に挑まなければならなかった〉。それでも、頑張り抜いて〈管内屈指の沃土〉に築きあげた。

 このような開拓地から、龍馬の大雪像を造る為にたくさんの寄付金が寄せられたのである。写真ではあるが、札幌の寒空の下に立つ龍馬の大雪像を見た時、これには高知県人の熱い心が込められていると、思った。
 高知県人会長・佐藤平四郎氏からお誘いを受けたが、勤務の都合で出掛けることが出来ず、残念であった。
 
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