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2013年2月15日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 64

  道明寺を訪ねて

 歌舞伎『菅原伝授手習鑑』は、竹田出雲・並木千柳・三好松洛・竹田小出雲の合作で、五段からなる時代物である。菅原道真の配流を主筋に、大阪で生まれた三つ子の話を折り込んでいる。
 度々上演されるのは、「寺子屋」の段である。現代は、考えられない不条理な話である。終戦直後は、GHQの指導で上演禁止になったという。

 「道明寺」の段。道真公が筑紫へ下る前に、大阪府藤井寺市「道明寺」の叔母・覚寿を訪ねる。ここで自身の木像を刻み、覚寿と別れを惜しみ出立していく。
 気丈な覚寿は、不憫な道真のため陰膳をすえ、お下がりを近所の人々の求めに応じて、分ち与えた。これが評判を呼び本格的に製造されるようになった。

 数年前、近つ飛鳥(大阪府藤井寺市、羽曳野市、太子町)を訪ねた。目的は、「道明寺」と「道明寺天満宮」である。
 こじんまりした門をくぐると、静謐な寺のたたずまい。何か芳しい香り、気を落ち着けて見ると、金色の小さな花がハラハラと散っていた。それが菩提樹であった。(後日調べると、お釈迦さまのそれではなく、シューベルトの「菩提樹」に近い種類らしい。)その脇の四阿(アズマヤ)には、近所の中高年の人々が新聞を広げていた。静けさに、気をよくして、境内を歩き回ってみた。無人の寺務所のショーケースに「道明寺糒」を見付け、インターフォンを押した。包装には、秀吉筆の「ほしいひ」の文字が写されている。
 秀吉は、これを兵糧食として利用した。『古事記』や『万葉集』の時代からある「乾飯」。「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る(万葉集2—142)」。近くは、登山携行食・宇宙食・防災備蓄食の「アルファ米」、元祖・インスタント食品。
 一般の家庭でも、昭和20年代までは、オクドで、薪でご飯を炊く。ご飯が炊きあがり蓋を取ると、白い神皿に少量の飯をよそう。神棚にあげて、「ご先祖さま、神々さま」と、手を合わす。「薪でご飯を炊くのは、難しかった。ようやく炊けるようになると、自動炊飯器の出現。」と、妻はいう。

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