« 広谷喜十郎の歴史散歩 62  | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 64 »

2013年2月 9日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 63

  天神さま

 受験シーズン真っ盛り。受験生をもつ親御さん、周りの方はヤキモキ。代わってやるわけにはいかない。せめて、学問の神さま・菅原道真公にお願いしましょう。千百余年前、道真公は神となられた。

 大阪市東淀川区南江口に、松山神社がある。ここは、難波入江の口の意で、西行法師と江口の君との故事で有名である。河田小龍がそれを題材に「江口の君」の絵画を残している。江口の君=普賢菩薩が白象に乗っている。南江口と小松は隣町である。ここに、松山神社(天満宮)はある。
 延喜元年(901)道真公は、太宰府の配所に流されることになった。淀川を下り、難波入江の口(東淀川区小松)に差しかかると、数千本の小松が生い茂る景観に感動し、『小松の詩』を詠まれた。現在の地名もこの時から始まる。
 道真公は、讒言により無実の身で京都から太宰府に流される。その地で生涯を閉じることになる。門弟の者が、亡骸を牛車に乗せて進もうとすると、牛が伏して動かなくなる。これは、道真公の遺志であると、その地に埋葬された。延喜5年、墓所の上に祀廟が創建される。延喜19年(919)勅命により、立派な社殿が創建された。
 長年にわたり、道真公への崇敬は絶え間なく続いている。その墓所である太宰府天満宮にも。全国に約12,000社程ある天神さまにお参りする方は絶えない。
 道真公の左遷と共に、土佐権守として嫡子・高視朝臣が潮江の地に居住した。道真公の侍臣である松本白太夫は、遺品の表着、剣及び十一面観音像を高視に届けるため、大津村船戸にたどり着いたが、病を得て急逝した。そこで、大津の岩崎山に墓と祠堂が建てられ、白太夫神社がとして祀られている。
 道真の遺品を祀った神社は、潮江天満宮である。潮江山の(筆山)の南面は高視に因んで、今も高見山と呼ばれ、市民から親しまれている。

写真は、太宰府の土産物「うそ」幸福を招く神鳥。うそ替え神事は、
毎年1月7日におこなわれる。
Dscf1895_2

« 広谷喜十郎の歴史散歩 62  | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 64 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/56713866

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩 63:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 62  | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩 64 »