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2013年2月 2日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 62 

 奈良・正暦寺の清酒づくり

 寒さが厳しくなると、高知県下18の酒造会社から新酒が造られる。酒屋の店頭には、スギの枝葉を丸く仕立てた提灯型の「杉玉」が吊るされ、新酒の酒瓶が並ぶ。これは、今年も美味しい酒が出来ましたと、いう印である。
 江戸時代には、藩庁から181軒の酒造業者が座株の「酒甫手」が。交付されていた。この官許酒屋の軒下に、杉玉が吊るされたのである。
 杉玉は「酒林」とも呼ばれ、元来、奈良県三輪山の杉で形作られたと言う。三輪山の大神神社は、日本を代表する酒の神が祀られている。境内には、全国の酒造業者が献納した「新酒の酒樽」が、献納されていたことを思い出す。
 奈良時代の中央政府がまとめた『風土記』(713)のなかに、古代の仁淀川は「神河」と呼ばれていた。この川の水が清いので、土佐の大神(土佐神社)に、捧げる酒を造っていたと記述されている。『延喜式』(927)に見える、高知市介良の「朝峯神社」は、酒の神を祀る神社として知られる。ここでも、新酒を献納する行事が行われている。
 室町時代から江戸時代になると、濁り酒から清酒を造ろうとする動きが見られるようになる。
 この清酒造りの発祥の地が、奈良県興福寺の末寺である正暦寺である。寺の門前に、「日本清酒発祥之地」の碑が建てられている。碑の裏面に、〈清酒造りの起源 日本清酒は室町(1400年初頭)に菩提山正暦寺において創醸され、その高度な醸造技術は近代醸造法の基礎となりました。…〉と、刻記されている。
 興福寺の『多聞院日記』永禄3年(1560)5月20日の条に〈酒を煮させ樽に入れ了る。初度なり〉の記述がある。これは、約50〜60℃で、5〜10分保つという低温殺菌法で清酒を造ったものと言われる。今日の火入れ方式の条件とほぼ一致している。
 この火入れ方式に加えて寒造り方式で、行うと品質の良い清酒が出来るようになる。
 低温殺菌法が、ヨーロッパで普及するのは、パスツーやコッホの「滅菌法」以後のことである。
 日本の清酒造りは、それより400年程前に行われていた。明治初期に、日本にやって来たヨーロッパ人が驚いたというのは、もっともなことである。
 写真は正暦寺の菩提かんの碑です。かんの字は、トリ(酉)に元の字です。
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