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2013年1月22日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 60  

    広井勇と小樽運河

 いま、佐川町立青山文庫では、「広井勇の生誕150年記念特別展」が開かれている。
 佐川町出身の広井は、札幌農学校を卒業し、アメリカやドイツで河川や橋の技術を学んだ。その先進的な技術を日本に導入した。
 平成13年7月7日、広井勇が開発した小樽運河を訪ねた。早朝の静かな運河の辺りを散策していると、あこがれの広井勇の胸像に出会った。
 学生時代、土佐藩家老の土木工事に興味を抱き、調べていた。彼の名著『日本築港史』(昭和2年刊)を読む機会があり、手結・津呂・室津・浦戸・柏島等の港について強く興味を抱いた。特に、室津港に対して〈波動に対シ能ク用材の軽重及ヒ配置ヲ適応セシメ以テ永ク波力ニ対シテ遺憾ナカランタルハ注目スベキ〉と述べている。これらのことから、世界的にも知られた広井博士を何かと勉強させてもらった。
 広井博士の人格的に素晴らしい生き方に触れると、その魅力に強く曵かれる。
 『高知新聞・平成8年4月1日付』に、「小樽・日本初、外洋防波堤を築港、世界的権威の広井勇、11年かけ決死の覚悟で」という見出しをつけた特集記事があった。
 築港工事に着手したのは、明治30年或る時、台風が襲来した。〈ほんの数時間であらゆるものが押し流され、防波堤などがかろうじて残ったことがある。夜明け、防波堤には凍ったままの衣服で神に祈る博士の姿があった(略)博士の懐中には自決用の短銃があった〉という。
 高崎哲郎著『山に向いて目を挙ぐ・工学博士広井勇の生涯』(鹿島出版会 平成15年)によると、〈広井の高潔な人格は、常に身辺を清く保った(略)大学で発明したり開発した機器類は決して自分の特許とはせず、これによって自分の収益を図るようなこともしなかった。彼は各方面の顧問や嘱託となっても報酬は謝絶した〉人であったと紹介している。
 さらに、「広井山脈」ともいうべき日本の土木工学界の発展の為に、数多くの人材を育て上げている。教育者としてのもきわめて大きな役割をも果たしたと、高崎氏は述べている
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