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2012年12月27日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 56

   讃岐うどん
    
 年越しは、おそばですか。おうどんですか。
 近所に、讃岐うどんの店が出来た。腰のある麺と美味しい汁に曵かれて毎日の様に通っている。
 
 讃岐うどんは、地元・香川県では特に好まれている食物である。食事時には、行列のできる店も多い。毎朝食は、うどんという人もいる。
 香川県は、少雨温暖で、平地の多いことから穀物栽培に適しており、古代からの穀倉地帯であった。高知は、雨が多いから米の2毛作がおこなわれたが、降雨・河川の少ない香川県・徳島県は、米作の後に小麦が作られた。うどん用の小麦粉「さぬきの夢2000」など開発されたが、オーストラリア産小麦が使用されている場合が多い。
 高知県の水を分水する為に、早明浦ダムが作られた。香川県の人は、喜び井戸を廃したり、ダムの見学者も多かったようだ。現在の大歩危・小歩危の水量が少なめなのは、貯水によるのも因である。徳島県人と話したことがある。ダム以前、雨が上がり子供が水遊びに興じていたら、どっと水かさが増し、大事にいたったこともあったという。
 小豆島では、山頂部に水溜池があったと聞く。いつかの台風でそのお鉢が壊れ、大災害に見舞われたという。
 
 『和漢三才図会』正徳3年(1713)の小麦の条に、〈讚州丸亀の産を上等とす〉とある。讃岐でのうどん屋の記述が、元禄末(18世紀初頭)に描かれた「金毘羅祭礼図屏風」に現われる。
 西日本では、何でも弘法大師が現われる。例にもれず、うどんも弘法大師が唐から伝えたという(?)。大師信仰の強い香川では、「何か解らないことは、お大師様の仕業にして安心する」。

 瀬戸大橋が開通する以前、高松駅で宇高連絡船に乗り換える際、すばしこい人は、駅の立ち食いうどんに。連絡船のデッキにもうどん屋があった。濃霧による連絡船の欠航は、思い出深い。現在の瀬戸大橋線の封鎖どころではない。
 丸亀高等技術学校では、2003年より、うどん職人を養成するうどん科が開講したという。
 写真は、近所のうどん屋に貼られていた「香川県」のポスター。JRの瀬戸大橋線・上りなら右手に見える、降りてみたくなる島。降りられないが。
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