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2012年12月20日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 55

 花咲爺・牧野富太郎

 牧野富太郎は昭和32年1月18日、94歳8ヵ月で亡くなった。翌日の『朝日新聞』の「天声人語」で、〈牧野翁の一生は(略)小学校もろくに出ず、少年のころから好きな植物の採集と分類に精魂をうちこんだ。「草を褥に木の根を枕、花を恋して90年」(略)いつまでも老いぬ童顔童心の“老少年”であった〉と、紹介している。
 また、〈日比谷公園全体にガラスの屋根をかぶせて世界中の四季の花を咲かせ、東京じゅうを桜で埋めて、国会議事堂も東京駅も花の雲の中からチョコンと頭を出すくらいにし、その花の雲の上を飛行機でスーッと飛んでみたいと、子供のような夢を描くおじいさんだった〉とも述べている。

 富太郎は、早くから日本中を花に包まれた世界にしたいと考えていた。『続植物記』のなかで、「東京全市を桜の花で埋めよ」、「日比谷公園全体を温室にしたい」、「花菖蒲の一大園を開くべし」、「熱海にサボテン公園を作るべし」など、当時としてはスケールの大きな提言をしている。
 晩年の富太郎は〈わたしたちの住む地球は、みどりの植物でおおわれ、美しい花が咲きみだれているすばらしい星です(略)ユリの花一つにしろ、スミレの花一つにしろ、とうてい人間がつくりだすことのできない造物主の傑作なのです〉(『牧野富太郎植物記』)と述べている。
 〈このすばらしい星に生を受けたわたしたちは大感謝しなければなりません〉と。また、〈明治35年、当時東京に多く見るソメイヨシノの桜が、まだ土佐には無かったので(略)其苗木数十本を土佐へ送り其の一部を高知市五台山(略)に又一部を我が郷里の佐川にも配った〉とも書いている。
 その動きは、戦後になって富太郎ゆかりの竹林寺近くに「牧野植物園」が造られた。富太郎生誕地にも、牧野公園が造られた。春になれば、ソメイヨシノやセンダイヤ桜が咲き乱れ、有数の観光地となっている。
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