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2012年12月12日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 54

  蛇に関する伝承

 高知県神社庁報紙の年頭号には、毎年の干支に因む話を書いている。来年号に「巳年に因んで」と、蛇に関して書いた。
 ここには、別の視点からを書いてみよう。
 日本史のなかで、何といっても蛇に関するおおきな話題は、八岐大蛇伝説であろう。
 『古事記』によると、天上界から追放されたスサノオは、出雲の(現在の)斐伊川の上に降りて来た。そこでは、老夫婦が泣いていた。聞いてみると、この地に八つの頭と八つの尾を持つ大蛇がいて、毎年娘が食べられる。最後に残ったクシナダヒメの番になったという。
 スサノオは酒を呑ませ、酔いつぶれたところを斬って退治した。その時、大蛇の尾から「草薙剣」が出てきた。それを姉のアマテラスに、献上した。皇室の3種の神器の1つの神話となっているのである。
 『神道辞典』(弘文堂)によると、この神話の解釈について〈稲田姫という名称(略)といっている点から、これを農耕神(略)八岐大蛇は斐伊川そのもので、大蛇退治は治水の成功を神話化したということになる〉と述べている。
 『古事記』では大蛇の背中にコケ、ヒノキ、スギが生えていたという。『日本書紀』では、背中にマツ、カシワが生えていたという。これは、当時の林相を示している話として興味をそそられる。
 河の神は蛇だといわれ、大蛇しかも大酒呑みだとすると、大蛇が暴れるのは、製鉄用薪炭のための森林乱伐による洪水物語のシンボライズであったろうか。
 高知市の田辺島通り電停の近くに、田辺島城跡がある。長宗我部元親に仕え、武勇の誉れ高い福留隼人の居城だった場所である。ここに、隼人を祭神とする隼人神社がある。「蛇もハミもヨッチョレ、隼人さまのお通り、、、」と、わらべ歌になっている程の勇将であった。
 『南路志』には〈隼人明神 古城跡 田辺島に生まるゝ者ハ、何方へ往来するとても反鼻(ハミ)に喰わるゝ憂なし、また他所のものハ、此神の守を懐中すれハ反鼻の憂無し〉と伝えている。
 高知市長浜にある長宗我部元親ゆかりの若宮八幡宮の境内に隼人社がある。賭け事や首から上の病気に御利益があると、言われている。 (ハミ(毒を持つ小蛇、高知ではハブともいう)
 竹内荘市著『鎮守の森は今〜高知県内2,622社』に、県内にある蛇神を祀る神社をいくつか紹介している。四万十市名鹿にある蛇王神社には、〈90の石段の両側 白蛇像が並んでいる〉という。
 蛇は脱皮による進化性をもつ。特に白蛇は、その高貴性が尊ばれ人々に篤く信仰されている。
 今、吾川郡いの町の草流舎では、宝珠の蛇の愛らしい人形展が行われている。体内には、「くろもじ」という縁起めでたい木の実が入っている。

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