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2012年12月 2日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 52

  牧野富太郎と六甲の高山植物園

 本年は牧野富太郎の生誕150年で、高知市五台山にある県立牧野植物園を中心に行事がおこなわれている。

 神戸市は、富太郎にとって忘れ難い場所である。渋谷章著『牧野富太郎』(平凡社)所収の年譜の大正5年の条に「池長孟の好意で経済的危機を脱す。神戸に池長植物研究所を設立。標本約30万点をおさめる」とある。渋谷氏の著書によると、〈当時京都帝国大学法学部の学生であった池長孟は、父の遺産の中から3万円出して牧野富太郎の標本を買い取ることにした。そして池長孟としては何の使い道もないこの標本を牧野富太郎にすぐ返すつもりだったが牧野富太郎が断ってきた〉という。
 そこで、池長植物研究所を作り、富太郎に毎月研究費を送り、月1回この研究所へ来てもらうことにした。
 このことにより、〈関西で植物の採集会などが盛んに催される切っ掛けともなった〉といわれる。
 六甲山山頂(標高865m)近くにある「六甲高山植物園」は、昭和8年5月、富太郎の指導のもとに設立された。
 奥山春季氏が「牧野富太郎と高山植物」(『草木研究支考』)の中で考察しているように、富太郎は高山植物に熟知しているからこそ指導を仰いだものであろう。
 10年程前に、神戸の市街地から車で約1時間のこの植物園を訪ねたことがある。この年は、開設70周年に当たり、特別展もおこなわれていた。年間平均気温9度いう自然環境の中で、園内には、ミズバショウ・フクジュソウ・マンサクなど数多くの花が咲き乱れていた。約50,000㎡園地には、寒地性植物を含めて1,500種もある。国内産はもとより、ヨーロッパアルプスやヒマラヤなどの珍しい植物もある。
 最近の新聞によると、西宮市の柴田さん所持の富太郎からの書簡や短冊、写真等が保管されていることが解った。柴田さんの父・音吉氏は、六甲山で旅館を経営し、富太郎と交流があった。それを示す手紙などが公開された。
 富太郎にとって、六甲山は思いで深い土地であったようだ。
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