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2012年11月11日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 49

   雪舟ゆかりの宝福寺を訪ねて

 本年10月中旬、高知市文化協会主催の「桃太郎・備中まほろばの里・高梁方面の史跡巡り」を案内した。
 その折、日本を代表する画家・雪舟が少年時代に修行したという宝福寺を訪ねた。
 この寺は、地元出身の僧・鈍庵が建立したという鎌倉時代からの臨済宗の名刹である(元は、天台宗)。仏殿や方丈など見事な七堂伽藍が広がっている。その一角にある朱塗りの優美な三重塔は、承和2年(1376)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。
 寺院の入口に、少年・雪舟とネズミの石像がある。小僧の雪舟は、ろくに修行をせず、絵ばかり描いていた。和尚が懲らしめのため雪舟を柱に縛り付けた。しばらくして、和尚が見に行くと、ネズミが今にも雪舟の足元にかじりつこうとしていた。和尚が追い払おうとした。が、よく見ると、それは雪舟が自分の涙で足の指を使って、描いたネズミであったという。それ以後、和尚は雪舟が絵を描くことを認めたという。
 雪舟は応永20年(1420)に備中赤浜(現総社市赤浜)に生まれ、その地に生誕地を示す記念碑がある。
 そして、後に京都へ行き、相国寺で禅を学びながら、水墨画の修行にも打ち込んでいたという。
 相国寺といえば、土佐ゆかりの名僧・夢窓疎石が開山した寺院である。しかも、土佐の津野山郷出身の禅僧・絶海中津ゆかりの寺院でもある。
 絶海は、夢窓国師に師事し、京都などの寺院に務め、中国にも渡り、洪武帝に召されるなどした高僧である。
 彼は、応永3年(1396)相国寺の第6世として入寺している。それは、雪舟が4歳の頃である。
 将軍・足利義満は、同寺を五山の第1位に昇格させて、絶海の徳に報いる。後に、この絶海ゆかりの寺院に雪舟が入山したといえる。

 前述の宝福寺は、現代の秘められた才能が開花していない、画業志願の若者達が、参拝にくるという。寺のご本尊・虚空蔵菩薩は、智恵と福を授けるという。私も、可愛い孫のために祈願してきた。
 
 歌舞伎の「金閣寺」に登場する、雪姫・雪舟の孫という設定である。桜の木に縛られるが、足元に積もった桜の花びらを集め、爪先でネズミを描く。その
ネズミに魂が入って動きだし、しばった縄を食いちぎる。
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