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2012年10月23日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 47

  木守り心

 かつて晩秋の頃、柿の梢に数個の実が残されていたのを見て、子ども心に不思議に思ったものだ。
 それは、神様へのお供えものであり、今年の収穫を感謝し、来年の豊作を祈願するものであると、教えられた。
 これは「木守り」と言われるもので『俳句歳時記』には、「木守り柿」として秋の季語になっている。
 高知市郊外の私の近所に、大きな柿の木がある。そこの女主人も「取り残した実は、鳥の為に残し、神様に収穫を感謝する」とか話していた。
 県下の山間部で聞いても、木守りを知っているとの返事が数多くあった。
 なお、高松市には、藩主所持・利休ゆかりの赤楽茶碗「木守」に因み、柿の実と讃岐三盆糖で作り上げた「銘菓・木守」を売り出している。
 その他の果実類について調べてみると、年中行事の中で、何かと登場する。
 9月の重陽の日は、「栗節句」とも言い、栗飯を炊く風習があったともいわれている。   
 冬至に、ユズ湯に入ると体が暖まり風邪をひきにくく、ヒビ・アカギレなどにも効果があると言われる。
 このように、先人達は「木守りの心」を持ちながら、食物に感謝していた。そして、神に家内安全を祈願していたのである。

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