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2012年9月19日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 41

馬路村の朝日出の大杉

 本年8月10日付『高知新聞』に、〈樹齢800年「朝日出の大杉」悠然・馬路村〉という記事で〈旺盛な樹勢で立つ〉という大杉がカラー写真で紹介された。
 〈幹回り約10メートル、高さ25メートル、周囲を圧倒する巨木がひときわ高く、真すぐ天を突く〉という大杉である。そして、〈その根元にある小さなほこらがこの大杉のいわれを伝える(略)およそ450年前の戦国時代、馬路城主が長宗我部元親との戦いに破れ、この大杉まで逃れ、首をはねられた。後に城主の息子がほこらを建て、村人は神木としてあがめてきた〉と、紹介している。 
 さらに、8月31日付の記事によると、〈村に「どう行けば?」との問い合わせが続々。村教委はこのほど、近くの林道に登り口の案内板を立てた(略)岡田教育長らは「馬路村の新たな観光名所にしたい」と〉言う。
 昭和57年7月11日付『高知新聞』の「わが里の銘木古木」の中にもこの大杉が紹介された。当時の状態を〈魚梁瀬杉のメッカといえどもほとんどが切り尽されており、後に植えられた数メートルの幼木のなかで貫禄たっぷりの大杉はこれ〉という。
 そして、祠の伝来については、永禄元年(1558)に馬路城主が戦闘した相手は、安田城主三河守だとしている。これについて気になり、馬路村教育委員会に問い合わせたところ、長宗我部説と、しているという。今後の検討課題である。
 
 私は、以前『北川村史』の「林業編」を担当した。その中で、県下の「巨樹・古木への祈り」という項目を設けて書いた。
 戦前に、高知営林局がまとめた『四国老樹名木誌(上)』に掲載されていた「朝日出の大杉」を紹介した。〈今樹下に小祠あり、馬路龍王の宮と称して祀る。本樹南面の枝悉く馬路方面は向へるは其の霊の宿れるためなりとして神木として尊信す〉とある。
 これは、ミカンの歴史をまとめていた時にも、この大杉に行き当たり、〈馬路村朝日出集落では、朝日掃部頭にユズ、稲の豊作を感謝し、更に、ユズと杉に期待して願をかけるという祭りがある〉と、書いたことがある。
 高知県下の老樹を取材していくと、大木の幹元には、祠があり
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