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2012年9月 5日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 39

 仁淀川町の金子直吉の展示室

 大正時代に短期間で、鈴木商店を巨大な商社に築き上げた金子直吉について、昨年末から今年にかけて、金井明氏が力作の新聞連載を書いた。
 今年になって、鍋島高明氏も大作の記事を連載されている。
 私も前々から興味を持っていて、いくつか紹介文を書いたことがある。
 昭和50年頃、城山三郎著『鼠』(文春文庫)、桂芳雄著『総合商社の源流』(日経新書)、沢野恵之著『史上最大の仕事師』(PHP)が相次いで刊行された。
 その頃、仁淀川町方面に行く機会があったので、旧吾川村教育委員会に立ち寄り、拙稿「白鼠・金子直吉のこと」(土佐史談169号)を進呈した。村においても、何か取り上げてはと、進言した。
 平成22年になり、地元で、やっと金子直吉の勉強会が行われた。との新聞報道があった。
 本年の『高知新聞』8月18日付に、「金子直吉故郷に資料室」、「仁淀川町しもな郷、展示充実へ提供呼び掛け」の記事が紹介された。これからの進展に期待したい。

 金子直吉の少年時代は、家が貧しく、正規の学校へ行ける環境に無かった。父親は、居るだけの役立たず。家計のすべては母親の肩にかかり、古着の行商をしていたという。
 子供に対してのしつけは厳しく、直吉に「お前達は立身出世して、金持ちになっても、決して貧乏人を苛めてはならぬぞよ」と、口癖のように言っていたという。
 貧しさから学校へ行くことが出なかった、直吉は近所の神主さんから手習いの教えを受けながら、紙屑買いをしていたという。

 直吉の出身地である「しもなの郷」の施設では、展示室を設け、大いに啓蒙していくという。
 名野川地区といえば、江戸時代に茶の生産地で有名である。藩庁が最高の値段で買い上げており、いまでも釜煎り茶など手作りの茶を産出している。お土産物にどうだろうか。
 近くの中津渓谷には、七福神像があるので、「招福茶」として売り出すのも一興であろう。
 
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