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2012年8月14日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 36

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   吉田茂の銅像
 平成20年1月12日、『白州次郎 占領を背負った男』の著者である「北泰利氏」が週刊誌の記者を伴い、来訪された。
 私の『高知市の歴史散歩2』(私家版)を読んで、多くの優れた先人たちを生んだ土佐の歴史的風土を知りたいとのことであった。
 白州次郎は、敗戦当時吉田茂の下で活躍した人物である。そのうち、機会があれば吉田茂のことも調べて書きたい。と、話していた。

 昭和22年4月から連続7回も高知県から衆議院議員に当選しているが、その割に吉田の足跡を示すものが少ない。それは何故かとも質問された。
 敗戦当時、日本の最高の権力者であった、米軍のマッカーサーを相手に堂々と渡り合った吉田首相に、国民の多くは拍手を送ったものである。時には、平然と皮肉的な発言もして、反発を買うこともあった。吉田茂の政治的役割を正当に評価すべきであろうと、述べていた。
 なお、北氏の著書が話題になり、NHKのドラマになり、白州次郎を伊勢谷友介が演じた。
 本年6月18日付『高知新聞』に、「吉田茂像、日が当たる場所へ」、「高知空港ターミナルビル近く」、「建立からドラマ化で注目も」という表題の記事が掲載された。
 この銅像は、昭和59年に当時の中内力知事らが期成会を作り、除幕された。
 岩崎義郎著『土佐人の銅像を歩く』によると、〈像の形は羽織はかまの和服姿で草履ばき、鼻眼鏡をかけステッキをついて散歩中といった形で〉親しみのある銅像になっている。
 残念なことに、空港を管理していた当時の運輸省は、〈「銅像は空港になじまない」、没後十数年しかたっておらず、「完全な歴史上の人物ではない」ことを理由にされ〉空港からはなれた場所に建てられたという。そして、〈移転先はターミナルビルの北東角で、「空港に来た人と目線が合うように意識した」県交通運輸政策課〉と計画されたものである。この機会に、県内でも吉田茂を何かと話題にしてもらいたいものである。
 国会議事堂の板垣像を訪ねた後(35号参照)、吉田茂の銅像も訪ねた。それは、皇居外苑の北の丸公園にある。吉田の生誕百年記念事業の1つとして、昭和56年9月22日に建立されたものである。当初は、和服姿も考慮されたが、制作者の舟越保武氏が昭和41年4月の宮中参内の折の姿をもとに製作したという。
 岩崎氏の著書によると、本体が2.3m、台座1.5mの堂々たる立ち姿になっている。また、神奈川県大磯町の吉田旧邸の像も紹介している。銅像本体は、2.40m台座は1.65mで〈前に相模湾が開け西に富士山を遠望できる眺望の開けたところ〉に建立された。〈軽く笑みをたたえたやさしい顔立ちに、袴を付けた和服姿で、右手にステッキ、左手に葉巻を持った散歩姿に造られている。〉という。

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