« 広谷喜十郎の歴史散歩 31 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩(号外) »

2012年7月13日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩32

  ジョン万のやさしさ

 ジョン万は、明治2年に東大の前身である開成学校2等教授に任命さ
れ、翌年に中博士(教授)に昇進している。
 その頃「ジョンはケチである」という噂がたった。
 彼は、料理屋へ食事に行った折、残り物を折り箱に入れて持ち帰ったという。
 ある時、顔見知りの仲居が両国橋の上で、人力車を降りたジョン万を見かけたそうである。橋の下に向かって、2人の乞食を呼びつけ、「今日はお前たちの番だよ」と言い、折り箱を与えたという。これを見た仲居は、店の女将に報告した。ケチなジョン万と思い込んでいた女将は感激し、ジョン万が来店した折には、必ず挨拶に出てきたという。
 ジョン万は、あちこちにいる乞食とのつき合いがあったとみえ、乞食の親分が彼の自宅へ盆暮れには必ず挨拶にきたという。家人はそれを嫌がったが、〈そのような運命に落ちた人たちが可哀想なのだ〉と諭したという。
 明治3年、ヨーロッパへの政府の使節の随行員として出張する折、政府の役人がやって来て、〈政府の代表として行く者が乞食と付き合っているのでは、面目が立たない。そのような者への憐みは御無用〉と申し入れをしている。
 彼は役人に対して、〈あなたが立派な役人になったのは、あなたの持っている運命である。それと同じように、永代橋に群がる乞食たちは、何かのことであんな運命になったのだろう。私は彼らを憐れむのではなく、本来人間は皆同じなのに、そのような運命になったという人間の無情を非情を悲しむのだ〉と、きっぱり述べ、乞食とのつき合いをやめないと答えている。
 このジョン万の優しさを物語る話は、ジョン万の子孫である中浜博著『ジョン万次郎』(小学館)に出ている。
 ジョン万は、数々の波乱に満ちた人生を立派に生き抜いた人物である。自分の人生は、数多くの人々により支えられてきたとの思いから他人に対し、思いやりのある優しい行動をとることが出来たのであろう。
Dscf1555


« 広谷喜十郎の歴史散歩 31 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩(号外) »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/583888/55185441

この記事へのトラックバック一覧です: 広谷喜十郎の歴史散歩32:

« 広谷喜十郎の歴史散歩 31 | トップページ | 広谷喜十郎の歴史散歩(号外) »