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2012年7月 6日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 31

  土佐の不思議な碁石茶

 本年6月23日付『高知新聞』に、「碁石茶秘伝の製法継承」、「桶から甘い香り・碁石茶作り始まる」との表題をつけた記事が掲載された。
 今年も、大豊町梶ヶ内の小笠原章雄氏による碁石茶作りが始まったことを伝える記事である。
 この碁石茶作りは、一般的な新茶の手摘みや機械摘みとはちがい、〈鎌で収穫、枝ごと刈り取っていく〉との説明があるように、荒仕事である。そのままの茶葉を大桶に詰め込み、「窯くど」で蒸す。そして、筵の上に広げ、葉のみを選り取る。そして、発酵させる部屋に移す。
積み重ねた「床寝」の状態にする。状態を見ながら、再び大桶に詰めて押し固める。2度目の発酵が進むと、冷却し、「切り包丁」で約3cm
角に切る。これを筵に並べ、3〜4日間天日乾燥させる。これで、完成。
 製造に要する日数は、約1ヶ月くらいである。
 その干固められた状態が、碁石状を呈しているので、「碁石茶」と名付けられた。
 江戸時代に土佐の山間部で製造された「碁石茶」や「山茶」が、四国山地を越え、瀬戸内・中国地方・九州方面に迄移出されていた。『南路志』に、〈土佐茶は不用所なし、誠に無量の名産也〉と言われる程であった。特に碁石茶は、瀬戸内方面の塩分を含んだ井戸水に適合していたと言われる。少雨の瀬戸内及び島々では、茶粥を常食していたが、それに欠かすことのできない貴重な材料であった。
 この碁石茶のおかげで元気でいられると話して下さった人々に、数多くお会いした。香川県丸亀市内の茶販売店でも取り扱っている。
 100%発酵のこの茶は、体の為に良いとの評判が、TVでも取り上げられたこともあり、今では全国的に流通するようになっている。
 だが、昭和50年代には、先述の小笠原家のみになり、消滅寸前であった。そんな頃、京都の呉服屋が目を付け、着物の染料に使用することもあった。
 私は、この不思議な茶を調べ伝えたいと、「幻の土佐の銘茶・碁石茶について」(大豊史談20号)を書いた。
 今では、製造家は8戸(団体)にまで増加し、ホットしている。
日本茶業史を調べてみると、この発酵茶と類似したものに、剣山の麓の「阿波番茶」と石鎚山麓の「黒茶」だけである。
 それが、ミャンマー(ビルマ)東部山間部のパラウン族のもとで作られた発酵茶と類似しているという、茶業史家がいる。とすると、伝来の道については、「和冦の時代に結びつく」と言う研究者もいる。
 今後の検討課題と、言えそうである。


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