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2012年6月 1日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩  25

  野原時計と土居郭中

 6月10日は、時の記念日である。毎年、この日になると、安芸市土居の畠中家の野良時計がよく紹介される。
この時計は、今は安芸市の観光名所の1つとなっている。武家屋敷の遺構である土居郭中のすぐ近くにあることもあり、この時計の見物者も多い。 
 機械作りの大好きな畠中源馬さんが、明治30年に手作りしたものである。15・6才の時、やっとアメリカ製の八角形の掛け時計を買ってもらった。その夜の内に分解してしまい、親に叱られたという。それから、時計の知識がないまま、3日間で元通りに組み立て、皆を驚かせたという。
 やがて、この時計をモデルにして大時計を作った。台所の上にやぐらを組み、洋風の外観をもつ屋上家屋を設けてそこに納めた。南北・東側の三面へ直径1メートル余りの文字盤をはめ込み作り上げた。
 当時は、周囲に高い建物が無く、田園が広がっていた。田畠で働く人々に、時を知らせる大切なものであった。当時の庶民には、腕時計など縁がなく、時を知る唯一の手がかりであったろう。
 週1回、約10キロの分銅を巻き上げると動くという時計で、明治・大正・昭和・平成へと時を刻み続けてきた。

 本年5月19日付『高知新聞』に、時計台近くにある土居郭中は、
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されるとの報道があった。ここは、戦国時代の勇者・安芸國虎の安芸城があった。
 そして、江戸時代初頭に、知行1,500石の家老の地位を与えられた五藤家は、代々土居の古城跡に屋敷を構え住みついた。この屋敷を中心に、約40戸の武家屋敷が建ち並び、碁盤の目のように通りが設けられた。東・西・北にある木戸に通じていた。城跡の南側には、上級武士、北側には下級武士が住んでいた。従って、庶民は住んでおらず、明治時代に入っても郭中に入る時には、頬被りや鉢巻きは取っていたという。 
Dscf1485


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