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2012年6月 9日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩  27

   土佐の古代ムラサキ草

  5月11日付『高知新聞』に、「金泥書復元・須崎市出身福島さん 山内資料館で展示」の記事が掲載された。
 静岡市在住の福島久幸氏が1980年に、奈良国立博物館で千二百年前の国宝・「紫紙金子金光明最勝経」を見て、復元に取り組み始めたという。
 土佐和紙を使用し、古典文学や経文などを金泥で書き写してきたという。新聞では、復元された用紙について、紫根染の和紙であることに触れられていないのは、残念である。
 日本では、古代からムラサキ草の根を最高の染料の原料として利用してきた。『萬葉集』には、「詫馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ色に出でにけり」など、紫草を詠んだ歌が多数収められている。
 聖徳太子の「冠位十二階制」で、ムラサキ色を第一位とし、高貴の人の衣服としてのみ用いられた。
 額田王が、大海人皇子(天武天皇)に「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と詠じた歌は有名で、古代のロマンを感じさせる。

 やがて、「江戸ムラサキ」が有名になる。土佐では、江戸時代前期に家老・野中兼山が染め物職人を派遣したり、土佐の山地で栽培を奨励している。
 享保12年5月、江戸幕府の薬園方・植村佐平次が全国の薬草調査に来国した。幡多郡十川村(四万十川町)で、ムラサキ草を確認している。
 この草が、皮膚病にも効能があるということで、栽培地が広まった。そのいきさつを調べ、『十和村史』に書いた。
 昭和57年、このことを地元の郷土史家・蕨川正重氏に話しておいた。
 平成元年に、蕨川氏から、自生地を発見したとの連絡を受けた。その後、同氏は、畑地栽培を行うものの、失敗の連続で10年間かけて、やっと成功にこぎ着けた。
 蕨川氏の努力で、古代のロマンを物語る世界が、現代に蘇ったと言えよう。
 このことを知った福島氏は、蕨川氏を訪ね、金泥書の用紙作成のため、ムラサキ草の提供を受けた。
 今年も絶滅危惧植物「ヤマトムラサキ」が、この時期白い清楚な花が蕨川氏の畑で咲いている。との連絡を受けた。

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*写真は、山崎青樹氏「草木染め染料植物図鑑」によりました。

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