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2012年6月20日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 28

黒岩涙香と競技かるた

 『高知新聞』6月2日付の夕刊に、「かるたブーム県内じわり、土佐中・高に競技かるた同好会」の記事が掲載された。
〈全国の小中高校生の間で、小倉百人一首・競技かるたの人気が高まっている。部活動としても盛んになっており、県内でも土佐中高校に「かるた同好会」が発足した〉という。
 また、「発案者は黒岩涙香」という囲み記事では、〈「競技かるた」が日本で誕生したのは1900年代初頭、競技ルールを考案したのは、探偵小説家で新聞人として活躍した安芸市出身の黒岩涙香(1862~1920年)とされ、涙香は競技方法の統一を図るため「東京かるた会」を結成し〉たと紹介している。

 平成15年秋、東海大学かるた会の津久井勤氏が、来高された。翌年が競技かるた会100周年記念にあたり展示会をするので、涙香ゆかりの展示資料を求めての来高であった。そして、涙香のふるさと・安芸市へのご希望で案内した。
 津久井氏は、この折の取材記事を協会の機関誌「かるた展望」に発表している。 さらに、高知市でも記念講演会をおこないたいとのことで、平成16年4月24日に開催した。涙香について小生も少しばかり研究していたので、急遽、作家 ・三好徹氏と共に話をする機会を得た。三好氏は、『まむし周六』(中央公論社)をまとめている。
 高知市文化プラザかるぽーとでおこなわれた会合で、模範試合に渡辺令恵永世クイーンと荒川裕理クイーンが登場した。以前からテレビで、新春恒例の名人戦を見ていたが、生の競技を見るのは初めてであった。その瞬発力に、圧倒された。「頭と体を同時に使う」、「畳の上の格闘技」という世界を実感した。

 涙香は、明治25年に『萬朝報』を創刊。「巌窟王」などを翻訳連載し、当時の読書界を牽引する。また、「目に王侯なく、手に斧鉞あり」の精神で、政財界の腐敗ぶりを糾弾し、「まむしの周六」と恐れられていた。趣味と実益を兼ねた家庭欄を設けたり、内村鑑三や幸徳秋水らに格調たかい論説を書かせてもいる。
 さらに、かるた・囲碁・相撲・野球・撞球・西洋音楽などの世界にまで広げた記事も掲載した。こうして、庶民の楽しみを文化的に高める努力をした。
 涙香が逝去した折、歌人・与謝野晶子は、「君あらで忽ち世人醜しとわれ嘆くらくこの頃のこと」と詠進している。

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