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2012年3月 5日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 9


  福島と土佐
 昭和56年に、土佐と縁の深い河野広中の銅像が建立されたことを知り、福島県に出かけた。
 銅像は、県議会前に建立されていた。台座の碑文に〈河野広中は、「西の板垣・東の河野」といわれる自由民権運動の先覚者で福島県が誇る偉大な政治家である〉と、刻記してある。議会資料展示室には、「土佐断金隊 河野信次郎広中」と書かれた肩章などが展示されていた。
 明治元年の戊辰戦役の折、弘中は未だ18歳の若者であった。が、土佐軍指揮官・板垣退助と知り合う最初のきっかけとなる。
 河野は、明治10年9月7日に来高し、10月18日に離高した。その間、板垣ら立志社の人びと会談している。
 
 次に、福島県文化センター展示室を見学した。そこに、『福島新聞』第1号(明治15年7月25日)を原寸大に印刷したポスターがあった。この新聞には、〈自由ハ天性ノ人ナリ自由ヲ保ツハ人ノ道ナリ〉ではじまる植木枝盛の三千字に及ぶ格調高い「創刊の辞」が掲載されていた。
 また、高知市本町の示野潤が福島軽罪裁判所で禁固11日に、処せられたという記事が大きく紹介されていた。
 翌日、河野の出身地・三春町を訪ねた。民権運動家の子孫である松本登氏らの案内で民権運動ゆかりの「正道館」跡を訪ねた。正道館関係資料によると、明治14年に土佐の立志社から講師として招請した弘瀬重正、西原清東にそれぞれ月額10円を支払っている。当時の町の警察署長の給料も10円であったというから、小さな町が講師料20円を負担しているのである。この地の自由民権運動の意気込みの強さを感じさせる。河野の遺髪塚がある紫雲寺にも行く。その境内にある、戊辰戦役で戦死した四基の土佐兵士の墓も綺麗に掃除されていた。
 昭和58年4月、三春町立自由民権記念館をオープンさせた。県議会前の河野像と同型の銅像もつくり、記念館前に建てた。
 なお、三春とは、三つの春の花(梅・桃・桜)が同時に咲くところから、町名にされたと言う。
 三春のしだれ桜は有名で、その子孫の桜は、高知市自由民権記念館前庭に植えられている。


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