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2012年3月29日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 17

 花祭りと大福茶(2)
鎌倉時代の文保2年(1315)、土佐を訪れた高僧・夢窓疎石が吸江庵(現・高知市五台山麓)に住んだ。ここから土佐での本格的な喫茶風習が始まった。 この寺には、貞和5年(1349)の銘入りの茶石臼が保存されている。
 文和3年(1354)に、吾北の上八川郷が吸江庵に寄進され、応永4年(1397)には、樅ノ木山も寺領となる。『長宗我部地検帳』の「吾川郡小川村」の条に〈茶園有〉とある。本格的な茶畑が設けられたことが解る。それに伴い、山間部にも禅宗の寺院がいくつか建立されるようになった。
 山内一豊が土佐に入国した直後の慶長8年(1603)には、吾川郡等で特命を受けた茶師・棒蔵主の活躍が知られるようになった。
 慶安4年(1651)に、樅ノ木山などから茶が伊予にまで移出されるようになった。そこで、土佐を代表する四大銘茶の一つとして樅ノ木山茶が『土佐国国産往来』に記録されるまでになる。
 この香気高い山茶を復活すべく、国友農園では10年前から「有機・無農薬栽培に徹底的にこだわり、すすきを乾燥させたカヤ肥と、ほんの少しの油かすだけで育てる山茶」作りに、真剣に取り組んでいる。それで、伝統的な縁起めでたい「大福茶」も復活できたのである。
 大福茶について『池川町誌』によると、4月8日の〈この日初めて茶を摘み、初茶・八日茶などと呼んで正月に使う家もある〉と言う。
 本山町では、この茶が〈特に邪気をそそぎの意味があり、お茶を摘む〉とのことである。(筆者注:そそぎ=濯ぎ)
 『芸西村史』には、〈この新茶を蓄えておいて元日の朝祝いに福茶と言って、この茶を飲む〉とある。
 高知県に隣接した四国中央市新宮町でも町誌によると、正月の早朝近くの谷川で〈福汲み、徳汲み、幸いくむ〉と唱えて若水を汲み〈前年の四月八日に摘んだ茶葉で初茶をわかして飲む〉という。
 京都・宇治の800年も続く老舗「通円茶屋」の通円良三氏が、『橋守八百年〜茶のみ咄し』刊行している。「大福茶の話」のなかで〈大福茶と言うのは元日の朝、番茶や煎茶に梅干しと結びこんぶを入れて飲む縁起を祝うお茶のことで、歳の暮にどこの町の御茶屋さんの店頭でも赤地に黒文字で勢いよく「大福茶」と書いた袋詰で花々しく売られています〉と記述している。
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