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2012年2月25日 (土)

   広谷喜十郎の歴史散歩 8

   
   伊達政宗と土佐
伊達政宗といえば、戦国時代に「独眼龍正宗」という異名をもち、東北地方に君臨していた武将として、有名である。
 伊達兵部は、政宗の実子で、歌舞伎「伽羅先代萩」や山本周五郎著『樅の木は残った』に、重要な人物として登場する。
 伊達兵部の墓(高知市史跡)は、高知市五台山の中腹にある。兵部は、仙台藩三代藩主・綱宗の実子「亀千代」を補佐する立場にありながら、原田甲斐と謀って家督相続などの争いを起こした「伊達騒動」の黒幕的存在であったと、言われる。
 甲斐が江戸で刃傷事件を起こし、兵部もその責任を負い、寛文11年(1671)4月に、土佐山内家預けとなる。高知城すぐ北の地(現・小津町辺)に、幽閉された。
 昭和61年末に、岩手県一ノ関市から僧侶が訪ねてきた。かつて領主であった伊達兵部の遺骨を貰い受けたいと申し入れ、高知市教育委員会の関係者をあわてさせた。

 原田甲斐の刃傷事件に、巻き込まれて斬殺された1人に柴田外記がいた。彼の父親は、高岡郡上ノ加江城主・佐竹親直。母は、長宗我部元親の娘である。大坂城落城の折、伊達軍の捕虜となる。後、政宗に見込まれ、仙台藩家老の柴田家を継いだ人物である。藩主は、外記の行為に感謝し、その子孫は国老となり、代々仙台藩の重臣の座についていた。
 日本三景の一つとして有名な宮城県松島には、「瑞巌寺」という古刹がある。この寺は、天長5年(828)に創建された。政宗は、この寺院を篤く信仰し、後に、世界遺産に認定された中尊寺に負けないほどの大伽藍に、発展させたといわれる。
 この寺院は、本堂や政宗像が国宝に指定されている他、重要文化財も数多くある。
 『禅語百科』(淡交社)の「雲居」の条に、〈臨済宗。松島(宮城県)瑞巌寺の中興(略)天正10年(1582)土佐(高知県)に生まれる(略)寛永13年(1936)松島の瑞巌寺に懇請され入寺、諸寺を復興させる〉と、ある。政宗ゆかりの大寺院の中興の祖・雲居和尚が土佐人だったという。
『雲居年譜』によると、土佐の国中村の〈一条家の家臣小方氏の長男で、19歳で上京して東福寺に入り、40歳で妙心寺153世となっているほどの高僧であった〉。

    

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