2017年9月15日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 295


     中土佐町の大正市場

 今夏、中土佐町に新しい道の駅が開設された。その直後に、訪ねてみた。大変な賑わいぶりで、食堂の順番待ちは大変であった。
 日を代えて、大正市場の方へ「メジカの新子」を食べにいって見た。こちらも大賑わいで、田中鮮魚店の場合、食堂で「ご飯セット(飯・みそ汁)¥250」を予約し、魚屋でメジカの新子・カツオ等の刺身等を買う。それを大皿に盛りつけてもらい、カツオのハランボは、塩をふっての焼きたてが食べられるようになっている。メジカ(ソウダガツオ)の新子は、この時期しか食べられない。目の前で、捌いた新子のさしみに、ブシュカンをきゅっと絞り、炊きたてご飯で食する。身体中に元気が、満ちてくる。
 このような庶民的な市場の光景が、残っている「大正市場」のことを紹介しよう。
 中土佐町久礼にある大正市場は、明治時代から地元の台所として賑わっていた。ところが、大正4年、大火で大きな被害が出た。それを知った大正天皇から復興費が下賜された。そこで、町民たちは「地蔵町」を改め、「大正町」としたので、「久礼大正町市場」としたものであると云う。この町の通りを歩くと、「久礼てんぷら」・カツオだしを使用した「ところてん」など、親しみを感じる光景が現存している。
 いま、ソウダガツオの不漁が大問題になっている。この魚の節(ふし)から作られる出汁は、うどんやそばつゆに使われる。高知県産は、全国シェアの7割を占めているから、この魚を廻る問題に注目している。
 また、これからは「戻りカツオ」のシーズンになる。これも楽しみである。
 

Dscf4635


Dscf4641


Dscf4637


Dscf4639

Dscf4642


2017年9月 3日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 294

       ボルダリング

 近年、淡路島を何度か訪ねる。息子が連れていってくれるのだが、美味しいお料理を食べて、安く泊まるとの条件を満たしてくれるのが、ホテル・アテーナ海月である。ここは、スポーツ選手の合宿にも使われている。料理旅館のチェーンで、数軒のホテルを持っている。
 ホテルの外壁にボルダリング用設備がある。ボルダリングは、東京五輪で追加競技として採用されたスポーツクライミングのうちの1つ。ロープを使わず、高さ3~5メートルの壁を登るのである。その壁が設置されている。
 なお、我が家の近くの大谷公園にも、ミニボルダリング があり孫が大好きだ。
 かつて、四国から大阪や神戸へ向かうフェリーが運航されていた。大鳴門橋・明石海峡大橋の開通で、高速道路が整備されると、フェリーの役目は終わった。2006年には全航路が廃止された。以来、津名港ターミナルビルは路線バスや高速バスのターミナルとして活用されている。
 津名の港のすぐ傍に、公園や緑地があるが廃墟にちかい。妻が例により早朝散歩に出かけた。その報告によると、廃墟になった公園や河川に弁当パック・ペットボトル等のゴミが散乱している。河口は、ピンク色になった海水が澱み、アオサギが何かを狙っている。と、いう。
 津名は、畿内交通の要所であった。江戸時代には志筑浦(津名)は風待ち港でもあった。風に恵まれれば約6時間で浪花に到着したと言われる(距離は約70㎞)。
 
 その昔、紀貫之はこの沖を通った。綺麗な海であったろう時代に。

Dscf4539


Dscf4541


Dscf4543


Dscf3984


2017年8月29日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 293

    サルスベリの花街道

 過日、親類から淡路島のホテルのお食事券をプレゼントされた。息子に連れられて、またまた淡路島を訪ねた。食事は、フレンチのミニコースであった。
 高速を下りて、向かう道路がサルスベリの花街道であった。白・ピンクの濃淡の花々が咲き誇っていた。サルスベリは別名・百日紅とも云うらしい。炎天下で華やかに町を彩っている。
 国生み伝承として有名な伊弉諾神宮にも参詣した。正月の初詣りとは異なり、落ち着いてゆっくりと参拝できた。ここにもサルスベリの大木(?)があった。
 日本の古典である「古事記」に、イザナギノミコト・イザナミノミコトによる国生み神話の地とされた淡路島は、昨年「日本遺産」に認定された。それを記念して9月23日が「くにうみの日」と制定された。今年は、これを基に国生みの島「淡路」の神楽舞・日向の神話天孫降臨の舞・出雲の国譲り神話の舞、日本の三大神楽がこの神社で演じられると云う。 
 帰途、四国の高速道で大きな事故があった。吉野川PAでゆっくり休憩を取り帰宅した。夕食は、淡路で求めてきた「あなご飯」となった。(「あなご飯」は、以前紹介しましたネ。)
 花が美しく、耐病性があり、必要以上に大きくならないサルスベリは、中国原産である。花言葉は「雄弁・愛嬌・不用意」である。高知市内でも大きくなり過ぎないので、御座方面の街路樹に植栽されている。白花ばかりである。
 

Dscf4532_2


Dscf4533_2


Dscf4555_2

Dscf4560_3


Dscf4563_2


2017年8月19日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 291

   愛媛県の魚市場へ行く

 先頃、いの町の寒風山トンネルを通り抜け、西条市の港の水産会社の市場へ行った。西条は、かつては遠かったが、高知市から2時間もかからずに行き着いた。
 と、いうわけで会社が経営している食堂に到着した。番号札を取り、順番待ちの間に市場に並んでいる魚の数々を知ることができた。瀬戸内と云えば「鯛」と思うが、この時期、カンパチ・シマアジなど旬の魚が並んでいる。それを目当ての買い物客も多勢いた。
 私たちのような食べたい客も多く、結構な待ち時間であった。海鮮どんぶりに、山盛りの魚が載っていて、食べる前から圧倒された。刺身は肉厚で、飯の上に数種の魚が鎮座している。

 私は、臨時教員を経て昭和38年に清水高校の教諭に任用された頃のことを思い出す。港近くに下宿していて、自炊生活であった。近所の漁船主の家では、夕方には店を開けていたのでよく利用した。山里育ちの自分が、魚好きになってしまった。
 齢をとり、身体のことを考え、妻の魚好きにも影響されている。孫の肉好きにも付合わねばならないが。

Dscf4519


Dscf4521


Dscf4518


Dscf4516


2017年8月13日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 290


      気象解説の倉嶋氏逝去

 8月になり、迷走台風に振り回され高知県では花火大会や行事が延期や中止になったりした。
 高知市の花火大会・よさこい祭りは、順調に行われた。
 8月5日、NHK気象解説で人気者であった倉嶋さんが93歳で死去されたとの報道に接した。彼は気象台に定年退職まで勤めていた。そして、NHK気象解説者となり、「ニュースセンター9時」で気象現象をわかりやすく解説し、温かみのある説明で多くの人に支持された。
 その後フリーになり、講演活動など、活躍した。一時期、妻の死で体調を崩したが、その著『やまない雨はない』に、記されているようにそれを乗りこえて活躍した。その成果がフランスの国際気象フェスティバルのベストデザイン賞の受賞に繋がった。

 このところの異常気象・北九州の集中豪雨や迷走台風が気がかりで、倉嶋氏の『暮しの気象学』を読んでいたところであった。そのなかに、ズバリ。「異常気象はなぜおこる」、「ゲリラ型災害」、「集中豪雨の正体」、「異常気象とその対策」、「異常気象にどのように備えるか」など、克明に書かれている。
 1984年に出版されたものであるが、2017年の今日にあっても決して色あせていない。民間学者でありながらの書いたものが生き続けている力量に圧倒される。
 倉嶋さんありがとう。ご冥福をお祈りいたします。
 
Dscf4513


Dscf4500


2017年7月29日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 289


     徳島県の神山温泉

 毎夏恒例の家屋内の燻蒸をした。
 その間、旅に出た。3本足であるから、息子の介助のおかげを蒙っている。剣山の東側の山麓のみどり豊かな静かな山里で、徳島市の奥座敷といった温泉宿で心身とも癒された。
 その昔、天女が舞い降りてきたとの伝承があり、含重曹食塩泉である。窓からは、こけら葺きの小屋・水車などを配した情景を作り出している。「神山桜」もたくさん植えられて、豊かな緑色の葉が枝垂れている。手入れがなされたことは、葉の状態から推察できる。花のシーズンには、賑わうことであろう。大阪在住の出身者達が寄贈した桜並木もある。
 日帰り温泉も兼ねた浴場とホテル内にも温泉浴場があり、昼間も朝湯も楽しめる。
 夕食は、近辺の山の幸・川の幸、徳島に近いことから海の幸も。季節感のあるおいしい料理をいただいた。鱧のお椀、鮎の天ぷら(老人に優しい調理がされていた)等。スダチが添えられていたのもうれしかった。
 鳴門教育大の学生・阿波踊り部も合宿していた。 
 すぐ近くには、地域の老人達の集まる共同作業場や喫茶室もある。野外研修公園もある。
 気温は高知とほとんど変わらず、エアコンのお世話になっていた。
 昔、剣山へ2度登ったが、懐かしく思うのみである。


Dscf4442


Dscf4441


Dscf4448


Dscf4460


2017年7月21日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 288

    いの町椙本神社に、皇室ゆかりの絹織物

 今春、いの町の会合に出席した。そこで、宮内庁から頂いた絹織物が神社に奉納されたと、聞きそれを拝見した。すぐに、それが皇后さまの工房で製作されたものであろうと察した。
 皇后さまの工房について調べてことがあったので、ここで紹介しておきたい。
 岡本健児先生の『ものがたり考古学』(高知県立歴史民俗資料館)のなかに記述がある。「正倉院に残る土佐の調」に、東大寺「正倉院御物緑絁大幡断片」という織物がある。それに、「土佐国吾川郡桑原郷(略)天平勝宝七歳十月(略)秦勝国方」と記されている。755年に、吾川郡の郡役人である渡来系の秦勝国方が納入したと紹介されている。桑原郷は、高知市春野町弘岡から吾川郡いの町八田辺りである。八田は、秦との字音に通じるもので、すぐ解る。
 2000年5月愛媛県歴史文化博物館で、宮内省正倉院研究所などの主催による「よみがえる正倉院宝物展」が有り、出かけた。
 復元された「土佐国白絁」が展示されていて、驚いた。
 その後、京都国立博物館で、「特別陳列・皇后陛下ご養蚕の小石丸・正倉院裂復元模造の十年」の展示も有り、見学に出かけた。
 そこには、「土佐国調台絁・大幡」(南倉184大幡残欠)とあった。岡本先生が紹介した絹織物の復元品である。
 このように見ると、先頃、椙本神社へ奉納された絹織物は、皇后さまの工房で製作されたものであろう。椙本神社方面は、古代の大野郷であり、この時期東大寺の支配下にあった記録がある。


Dscf4004


Dscf4431


Dscf4421付録、以前紹介した「ホルトの木」の花が咲き出した。下の写真


2017年7月 8日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 287

    九州豪雨

 このところ北九州方面の豪雨に心が痛む。記録的な豪雨で被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。

 大分県日田市や福岡県朝倉市はかつて取材に訪れた場所である。『日本書紀』によると、朝倉市は、斉明天皇が朝鮮へ行く途中逝去された地である。高知市朝倉の朝倉神社はこの斉明天皇を祀っている。それで、その地を訪れ参詣した。天皇が逝去された折に、赤鬼が出現したとの記述がある。
 高知市でも神社の裏手には、赤鬼山があり、聖地になっている。
 福岡県の朝倉市には、筑後川の支流の川沿いであり、3連水車などあり懐かしい思い出である。道に迷い困っていたら、この地の酒造メーカーのオーナーさんと出会い助けられた。そして、3連水車も案内してもらった。懐かしい思い出である。
 なお、斉明天皇が瀬戸内海を通り、愛媛県の松山近くで休息した地が有り、そこも朝倉になっている。

Dscf4407_2


Dscf4409


Dscf4411


2017年7月 1日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 286

    夏越の祓え・輪抜けさま

 妻が孫の浴衣のサイズを調べていると、これを着たいと言い出した。輪抜けさまに行こうかね。と、いうことになった。
 待ちかねていた6月30日、孫は輪抜けさま参りに出かけた。彼女に取っては、浴衣も晴れ着である。お天気も雨が落ちてこないだけ、上々であった。近くの朝倉神社までバスで行った。ルンルン気分である。
 神社の境内に、大きな茅で輪をつくり,そこをくぐると罪穢(つみけがれ)が祓われ,無事暑い夏が越せるというものである。が、茅では無く2~3mにもなる葦の葉が使われている。孫が「この葉っぱは何?」と、触ってみる。初めて、二礼二拍手のお参り作法を学習した。
 門前からずらりと露天市が並んでいる。何処も御馴染みの神戸牛タン串からウナギつかみ取り等。孫は行く前から、ワタアメ一直線。大事に大事に袋に入ったワタアメを抱えて帰って来た。
 上半期の晦日も終った。

最後の写真は夏越しの祓の菓子「水無月」


Dscf4382

Dscf4383


Dscf4384


Dscf4390


Dscf4395


2017年6月20日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 285


   浦戸の日和山

 先日、高知市桂浜の龍馬記念館で運営委員会があり、出席した。この場所は、かつて戦国武将・長宗我部元親の居城であった浦戸城の一角である。
 梅雨に入り、天気の変化が気がかりな季節である。この天守の頂上部は、昔の天気予報をしていた天文台跡である。江戸時代に、描かれた『浦戸湾絵図』を見ると、ここは「日和山」とか「燈明台」と記載されている。この山の麓には、「日和見」という人々が住んでいた。彼等は、朝早くこの山に登り、その日の天気の前兆を示す雲の動きなどから天気を判断した。そして、提灯・幟等を掲げ、住民に知らせていた。
 対岸の種崎地区にも日和山があったことは、古地図で確認されている。
 この天気予報の的中率が、月の半分以上であれば、「日和見巧者」と呼ばれていた。7割以上あてた記録が確認されている。


 
Dscf4353

Dscf4351

Dscf4355


«広谷喜十郎の歴史散歩 284