2018年5月 9日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 318

   八十八夜

“夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 「あれに見えるは茶摘みじゃないか…”
の季節になった。
 ゴールデンウィークの最終日、高知県山間部・梼原町にある温泉(日帰り利用)へ行ってきた。このホテルは、地元産の杉をたっぷり使っている。この町は、いま最も輝いている建築家・隈研吾氏設計の建築群で知られる町になった。隈氏は、新東京国立競技場の設計でも知られる。高知県立林業大学校校長にも就任され、後進の育成にも力を発揮している。
 かつては、土佐のチベットとかいわれ、新任教員にとっては忌避したい地であった。道路が改良され、高知市から2時間程で行くことが出来る新しい魅力的な町になっている。
 温泉で癒され、隣町の津野町の道の駅で新茶の試飲をさせてもらった。まろやかな茶に口福が訪れた。この茶は、高知市内や近郊の食堂でも供されている(新茶ではないが)。
 この地は、四国カルスト山地の中腹、いわゆる津野山街道沿いにある。山の中腹辺まで茶畑が広がっている。「四万十川源流地」でもあり、土佐茶の名産地にもなっている。
ここの山茶は、昔から香り高いことで有名であった。静岡県などの茶問屋が、香りづけのために大量に買付けにやって来ていた過去がある。
 現在は、地元の若者が「足元の宝物・茶」を地域振興に繋げるよう頑張っている。道の駅の裏山は、「鶴松ヶ森」。初心者(?)でも楽しめる登山口になっている。


隈氏設計のホテルと湯棟との連絡橋
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2018年5月 1日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 317


   5月の空

 老化に伴い足元が不自由になった。次男が彼方此方連れて行ってくれる。
 4月下旬、いの町から春野町に通じる道を走っていると、豪農であろう、4本ののぼり旗が建っていた。1つは、高知ではよく見られる武者フラフ、2本目は何と・阪神タイガースの縦縞柄フラフなのだ。もちろん鯉も泳いでいた。
 「フラフ」の語源については、英語のフラッグであると説明されていた。「土佐医学史」を書いた時に、『外来語辞典』を見ると、オランダ語に通じる説明がなされていた。気になり、「大漁旗」など調べていると、明治時代の「英語のフラッグ」が起源とする説は、「??」と思っていた。
 その後、『高知県方言辞典』(高知県文化振興事業団)が刊行された。それによると、オランダ語からとの説明が有り、納得した。
 近所を散策していると、アンパンマンのフラフが2枚ベランダに掲げられていた。鯉のぼりももちろん。子供の成長を願う親心が感じられる。
 フラフの図柄としては、悲劇のヒーローの武者が多い。災いを肩代わりして欲しい・悲劇にくじけないで強く生きて欲しい願いがあるらしい。
 アンパンマンや阪神タイガースには、頑張る力を子供にも。の願いであろうか。
 フラフは、高知市より東部で見られる。5月の風が吹かないと、はためかない。日本が子供たちが、元気になりますように!!
 

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2018年4月26日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 316


     滝宮天満宮

 先頃、香川県を訪ねた折、綾川町にある滝宮天満宮にお参りをした。祭神の菅原道真は、仁和2(886)年から寛平2(890)年の間、讃岐の守として赴任した。この場所は、讃岐国国司の官舎(有岡屋形)のあった場所といわれている。
 天神様であるから、奉納された絵馬の数はもの凄く多い。つい先日、うそ替え神事も行われた。
 この地方は、仁和4(888)年3月頃から大旱魃に見舞われた。田植えの準備もできず、麦も枯れるという事態になった。道真公は住民を救うために、7日間断食をして、祈雨の願文を捧げて祈祷したという。5月頃、天は曇り、雷鳴が四方に轟き、三日三晩に渡って大雨が降ったと云う。枯れかけていた作物は、蘇生した。
 こうして、滝宮の念仏踊りが始まったという。踊り手と歌い手が別れている念仏踊りは、「雨乞いの踊り」が起源とされる。今でも継承されており、8月25日に行われる。
 高知市の潮江天満宮は、道真の実子・高視をお祀りしている。

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2018年4月20日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 315


   満濃の池へ行く
 
 空海にゆかりの満濃の池を訪ねた。高知市内の小学校を卒業した妻は、小学校の修学旅行で行ったというだけで、何の興味も持ち合わせなかったらしい。
 先週、香川県中南部、仲多度(なかたど)郡まんのう町にある溜池を初めて訪ねた。
 この地方は、四国山脈に遮られ、降水量は少なく、日照時間は長いため、讃岐三白といわれる、米麦・砂糖・綿の産地である。
 農業用水を確保するため、大小の溜池が18,620程あると云う。その中心になっているのが、満濃の池である。堤防の高さが32m・水深6m、湛水面積は3,239haである。丸亀・善通寺・多度津・満濃・琴平地区に及ぶ広大なものである。大宝(たいほう)年間(701~704)に築かれたという。その後決壊を繰り返し、空海(弘法大師)が築池別当として派遣され、821年(弘仁12)修築した。
 しかし、その後も破堤を繰り返し、鎌倉時代から江戸初期までは放置され、池の中に村落ができたという。
 やがて、明治初年から改築工事が本格的に始まった。戦後になって、ようやく現在のような池ができあがった。

 冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂がよく観測される。今回の取材旅行中も、讃岐富士(飯野山)は霞んでいた。


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2018年4月 9日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 314

     南風(まぜ)の海

 この時期、海の方から吹いてくるやや西よりの風を「まぜ」と呼ぶ。もちろん漁民のつかう方言である。
 昔、漁村の調査をしていた折に、よく聞いた言葉である。仁淀川の河口にある土佐市側の道の駅は、「南風(まぜ)」と名付けられている。夏が近づく頃、魚が押し寄せて来る。親しみを込めて呼ぶ言葉のようである。
 私は、地元紙・高知新聞の木曜日の「高知の釣情報・魚信」を良く見る。それにより、釣り上げられる魚が変化することがよく解る。
 ここは、大きい波のうねりがあるのか、サーファーのメッカのように賑わっている。
 幡多郡の黒潮町には、「なぶら」という道の駅がある。佐賀漁港の近くで、「カツオのタタキ」を食べにくる人々で賑わっている。県外ナンバーの車が多い。「なぶら」とは、魚群のことである。ここは、日本一カツヲを釣り上げる漁船・明神丸を保有している。カツオ幟を空に泳がせている。
 それにふさわしい名前である。私はカツオの刺身が大好物である。年老いて、噛む力が弱ってきたが、刺身は優しい。


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2018年4月 1日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 313


        花盛り

 「ひさかたのひかりのどけき春の日にしず心なく花の散るらむ」の季節になった。孫の入学の日も近い。早く咲いた桜は、花吹雪である。
 百花繚乱!どちらを向いても花盛り。近所の新高梨の果樹園でも、白い花が咲き誇っている。
 このナシは、新潟県の「天の川」と高知県の「今村秋」の交配種だとされてきた。それぞれの県名から、「新高」と名付けられた。が、近年の遺伝子解析により、「今村秋」ではなく、「長十郎」の可能性が高いと云うことがわかった。  
 しかし、高知市針木地区では、栽培方法や肥料などの研究を重ね、でっかい、美味しい甘い梨の生産に励んでいる。目下、花盛り!!
 生産量では、高知県よりも九州産が多いが、甘い汁気たっぷりの針木梨は、ブランド梨である。収穫の秋が待たれる。

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2018年3月25日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 312

     相撲大好き!!

 数年前、高知県出身の栃煌山・豊ノ島の両力士が大活躍をしていた。

 孫が幼稚園から帰ってくる時間帯に、相撲放送がある。一緒にテレビを見ているうちに、彼女は相撲女子になってしまった。昨年、夏のお泊まり保育で、相撲に参加し、幼稚園のブログにも力士ぶりの姿が載ってしまった。
 その一因に、三歳になったとき、晴れ着を誂えた。そのお店が栃煌山と縁が有り、手形とサインの色紙も飾って有り、マスコット人形をいただいた。ファンレターを出したいほどになってしまった。目下、遠藤関にも夢中である。
 日本の近代における大相撲界で大きな役割を果たした人物。それは、自由民権運動の最高の指導者・板垣退助である。「国技館」という名称を決めた時にも関与している。板垣退助が逝去された折、その葬儀に相撲界から多数参列し、その棺を力士16人が担いでいる。
 
 今日千秋楽、栃煌山は残念ながら負けてしまった。

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NHKテレビの画像から


2018年3月18日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 311

      春が来た

 税金の確定申告も済ませ、ほっと1息ついている。文字通り「目に入れても痛くない」孫が、今日幼稚園を卒業した。
 日本一早かった、桜の開花のニュースも嬉しい。先日、孫を迎えに行った妻が興味深い写真を写してきた。園庭のチューリップである。
 子供たちが踏み荒らすせいもあろうが、とうに咲き終わったのもあれば、未だ蕾みのかたいのもある。子供もいろいろの条件、個性の違いを認めてやらなければと、元教師の反省しきりであった。
 卒園式当日の今日、園庭のチューリップはスペアーのものが植え足され、華やかに咲きそろっていたという。これで、安心。
 卒園証書を受け、将来の夢を語ったそうな。孫は相変わらず図書館屋さんであるが、ママに直されて「図書館司書」と云ったようだ。
 小学生になったら、会う機会が少なくなる。老体は寂しい限りである。

2才入園時 
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2018年2月25日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 310


       孫の夢

 孫娘がこの4月から小学校に入学する。
 食物アレルギーがあるため、給食のない学校を選んだ。母親同伴で、面接試験に臨んだ。「大きくなったら、何になりたいですか?」の発問に、「図書館屋さんになりたいです。」と答えたそうな。ママはびっくり!
 それを聞いた、元図書館職員のお祖父ちゃんも驚いた。

 オムツをしていた頃から、妻が息子達が好んでいた本を書庫から引き出して、孫にも読み聞かせをしていた。一番のお気に入りは、二世代にわたって『おさるのジョージ』である。新版も出、テレビにも登場し、ジョージは友達になってしまった。
 ママが図書館に連れて行き、自由に本を選ばせているからであろうが、本が大好きになったことは喜ばしい。知的好奇心に目覚め、たくさんの本を読みたい。ジョージのように「知りたがりや」になったようだ。
 息子であるパパが、難し過ぎる(?)と判断しても、新もの食いのオバアちゃんに添ってどんどん進化する孫である。
 週に2〜3冊のように出版し、パパとママに見せると言い、持ち帰る。オンチャンが製本してくれているミニ本に、カラーの絵と文を書いている。最近作『まみえほん・ようちえんであそぼ』。「ひらがな・かたかなひょう」を見ながら創作活動をしている。
 足が弱ったオバアちゃんを近所の高台へと、散歩に引っ張って行く。元気あふれる孫娘は、セーラー服の少女になる。
 
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2018年2月18日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 309

    堺事件と祖母のこと(2)
 今回も妻の雅子が書きます。
 
 先頃、義姉と高知歴史民俗資料館へ「堺事件」の展示を見にいった。

 祖母の話は、私にだけしか知らないことであった。祖母にとっては、哀しい恥ずかしいことであったろう。

 昭和22年に高知市立江ノ口小学校に入学し、ピカピカの「デモクラシー」教育を受けた身にとって、理解できないことが多かった。巷では、「女のくせに…」が横行していた時代である。
 祖母は美少女であったが故に、担ぎ婚により町家の小倅の妻となった。私が大学を卒業し、山間部の僻地校に赴任することになった時、その地には「夜這い」の風習があると聞き、猛反対した。私は、失業の身となった。
 現代でも、哀しい事件が多々ある。

 歴史民俗資料館で、西村左平次の陣笠についた血糊・当時の短剣を見たとき、すごく悲しい気持になった。曾祖父・小坂彦之進は病死であろうが、幼い2人の娘を残して死ぬ時、どんなにか辛かったろう。    
 この時代の女は、ご祐筆という職業婦人であった祖母の叔母でさえ名前は記録に出ない。叔母は夫・西村左平次の死と共に、実家・小坂家に帰って来たと思われる。「子無きは去る」の時代である。女については、家族か身内が記さなければ歴史上「無」である。もちろん、曽祖母の名も行方もわからない。
 現代、かかあ天下・ハチキン、何といわれようが実力を持って、生きて行くことができる。孫娘も立派なハチキンに育ちつつある。
 今、幕末〜明治を生きた元ご祐筆の『叔母さん』に会いたい。

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