2018年1月20日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 306

      丸亀うちわ

 新年の第1号には「丸亀うちわ」を書こうと、丸亀のホテルを予約していた。初詣に足を止めた神社で興味深いことにぶつかって、団扇は今回のテーマになった。
 子供の頃から、台所で使われていた「渋うちわ」。「丈夫で長持ち」戦後日本のお題目であったと思う。JR丸亀駅に、うちわと同じく竹と和紙で作られた凧が飾られたと知り、見に行った。名物になったご当地グルメ「骨付鳥」もいただき、海岸近くのホテルに入った。
 丸亀では、団扇の全国シェアーの90%程生産されると云う。七輪・おくどは、戦後の台所の必須であった。火吹き竹・団扇が活躍していた。妻は、おくどでご飯が炊けないのは、落ちこぼれだと厳しくしつけられたと云う。(数年後には、電気炊飯器・石油コンロ、ガスが普及したが。)
 「丸亀うちわ」の技術は、江戸初期までに確立していたとされている。寛永10年になると、金毘羅参りのお土産として朱色に丸金印の「渋うちわ」作りが考案され、うちわ作りが盛んになった。平成9年には、国の伝統的工芸品に指定された。
 「伊予竹に土佐紙貼りてあわ(阿波)ぐれば讃岐うちわで至極(四国)涼しい」と唄われる丸亀うちわは、材料すべてが近隣で整えられる土地である。そして職人の手仕事による技の集大成の結果である。
 うちわは、涼を取る、料理を冷ます、炊事・起火、陽除け、虫を払うその他いろいろの用途に使われてきた。用途に合わせた形、図柄種類が存在し親しまれ愛用されてきた。
 丸亀港は、海の玄関口であり、本州および塩飽諸島とを結ぶ海上交通の要衝として重要な位置である。中世以前から天然の良港として栄えてきた。江戸時代に入っては広く信仰を集めた金毘羅参詣のための、通称「金毘羅船」の定期航路も開設され、大いに賑わった。常夜灯の役目の「太助灯籠」をはじめとする3基の大灯籠は、今も健在である。
 諸島部やこの地方の塩気の水で米飯を炊くために、土佐の発酵茶・碁石茶が好まれていた。何度も取材に行った記憶がある。


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2018年1月15日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 307

     堺事件と祖母のこと

 今回は妻の雅子が、堺事件に関して、祖母から聞いた話を書きます。
 
 祖母・幸は、明治十四年(1881)年、土佐郡江の口村に生まれた。父は、小坂(おざか)彦之進。母は、?。小坂家は知行百五十石、御小姓組。堺事件より数年後、家庭は崩壊した。堺事件は、明治元年に起きている。家庭崩壊は何故か解らない。事情があったろうが、知るすべも無い。
 幸と姉は、御祐筆をしていた叔母に育てられる。
 祖母は幼い私に、「叔父さんは、堺事件の時に死んだ」という話をした。叔父さんとは?(叔母の夫であろう。)
 いろいろ探って行くと、西村左平次ではないか。左平次は家禄四十石の馬廻であった。
 
 森鴎外の『堺事件』に、〈つぎに呼び出された西村は温厚な人である。源姓、名は氏同。土佐郡江の口村に住んでいた。家禄四十石の馬廻である。弘化二年七月に生まれて、当年二十四歳になる。歩兵小隊指令には慶応三年八月になった。西村は軍服を来て切腹の座に着いたが、服の釦鈕を一つ一つ丁寧にはずした。さて短刀を取って左に突き立て、少し右へ引きかけて、浅過ぎると思ったらしく、さらに深く突き立てて緩やかに右へ引いた。介錯人小坂は少しあわてたらしく、西村がまだ右へ引いているうちに、背後から切った。首は三間ばかり飛んだ。〉
 この介錯人・小坂乾(これが曾祖父であろう)。介錯人とは、予め親しくしていた人に頼むものだそうだ。妻の兄に頼んだ可能性は大きい。

 幸は「あたごまち小町」と評判の美少女であったらしい。小学生の年齢であったが、親を亡くし、学校にも行けず近所の子守りをしながら学校の窓から教室を覘いていた。その頃、親切に助けてくれたのは「小南先生」であった。と、私は何度も何度も聞かされた。祖母の昔話は、私にだけ聞かせているようであった。女の孫は、私だけであったからかも解らないが。
 小学校は、現・江の口市民図書館の場所にあった。小南先生って?
 「享和元酉年認候を文化八未六日写」の地図によると、祖母の実家・小坂家は上の橋の北、現大川筋二丁目にあったようだ。現在、岡村病院看護師寮の辺りであろうか。近所には、小南家、山内家下屋敷があった。
 小南先生とは、小南五郎右衛門?は、明治十五年(1882)二月二十二日没である。幸は、このとき一歳七ヶ月である。何度も聞かされた言葉を実体験として刷り込まれたのであろう。
 「お殿様が鷹狩りに愛宕大橋(現)の辺りへ来られた時に抱っこしてもらった」これも当然聞かされた話であろうが、下屋敷に住んでいた分家の山内家であろう。
 終戦直後、久万川ベリ(変電所辺)へヨメナやセリを摘みに行った。そんな時、自分の生い立ちを語ってくれた。

 私も長男・孫も祖母の血を受け継ぎ、天然パーマである。もう一人・甥の娘がいる。「雅子おばちゃんに似た」と云っているが、幸おばあちゃんが元祖である。
 歴民の「堺事件」の展示を楽しみにしている。


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2018年1月 5日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 305


     津田八幡宮へ初詣り

  初日の出は、徳島市のホテルで迎えた。数の子・黒豆など正月定番料理は、バイキング方式でいただいた。雑煮は年寄りの事故を考えてか、うどんで用意されていた。食後に餅つきのイベントがあり、それを見学して香川県へ移動した。
 瀬戸内の海岸沿いに県境をこすと、松林に囲まれた津田八幡宮へ着いた。穏やかな地で、初詣りをした。ここの狛犬は、驚いたことにオオカミ像である。
 かなり前に、奈良県東吉野村を訪ねた折、野生の狼が最後に確認された場所とかで、石像が建っていた。
 現在、狼は限られた動物園にしか飼育されていない。Jリーグ・セレッソ大阪のマスコット「ロビー」とか、童話・「赤ずきん」「三匹の子豚」「嘘をつく子供(オオカミがきたぞ…)」などに登場する。悪役として人気キャラクターである。精悍な顔立の横綱・千代の富士は、細身で筋肉質な体型から「ウルフ」といわれ強かった。
 雨の少ない香川県にとって、農作物を食害する鹿などを追い払って欲しかったのかも知れない。京都の石清水八幡宮を勧請して立てた宮である。
 夏場は、海水浴で賑わうらしい。白砂青松の美しい海岸であった。


 
 


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2017年12月31日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 304

 
     新年おめでとうございます

 子供が幼い頃、世話を母に頼んでいた。次男が犬を飼いたいといいだして日曜市で、買ってきた。約束通りよく世話をし、散歩をさせる労をいとわなかった。犬が生存中、旅行に行くなどとんでもないことであった。彼は戌年生まれである。そして今、犬は庭の一隅で眠っている。
 何年かたって、奈良へ旅行したおり、法華寺で犬形のお守りを買い求めた。開基の光明皇后が悪病災難難産を除かんと自らつくり、人々に授けた犬形のお守りが始まりとされる。今も寺伝で尼僧がひとつずつ手づくりしていると云う。
 犬はお産が軽いことから、安産のお守りとされている。妊婦は、戌の日に安産を願い腹帯を付けるとされている。
 孫が生まれて、名古屋の人形店で焼物の戌箱を求めた。名古屋の徳川家のお宝に、犬張り子がある。それを模したものである。
 子供の頃、読んだ本に「南総里見八犬伝」がある。荒唐無稽な話であるが、わくわくして読んだものだ。愛知県には、犬山城もある。「忠犬ハチ公」、「西郷さんに寄り添っていた犬」など。犬が人間の傍らで暮らしてきたことがよくわかる。

犬山城
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法華寺のお守り犬

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 下の二つの写真は、尾張徳川家のお宝と孫のお守り犬です

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2017年12月17日 (日)

広谷喜十郎の歴史散歩 303


     宿り木

 紅葉していた木々は、茶褐色になり葉を落としている。近所の小公園や街路樹などの樹木も切りそろえられ、冬支度になった。孫は駆け回って遊びたいらしいが、付き添いのオバアちゃん相手では??
 寒さも厳しくなってきたので、息子が温泉に連れていってくれる。近場でよく行くのは、いの簡保の宿の温泉である。昔は、仁淀川の畔に有り、近所の蘇鶴温泉から冷泉を運び沸かしていた。30年ほど前に、温泉を掘り当て高台に新築し、人気宿になっている。

 仁淀川河畔にある桜の木に緑色の団塊状のものがいくつもできている。西洋では、宿り木について楽しい伝説が幾つもあるらしい。
 この温泉を掘り当てた当時の支配人も阿蘇の簡保の宿に栄転した。以前偶然に、阿蘇の簡保の宿の予約をしたところ、高知市朝倉出身の女性が電話口に出てとても喜ばれた。歓待されたことは、言うまでもない。
 調べてみた。宿り木は落葉樹に寄生し、その幹から養分などを吸い取って生息する。春、黄色い花が咲き(桜の花が美しいから目立たない?)秋に実がなるらしい。
 万葉集に大伴家持の歌がある。「あしひきの山の木末(こぬれ)の寄生(ほよ)取りて挿頭(かざ)しつくらは千年(ちとせ)寿(ほ)くとぞ」。
 宮沢賢治の「水仙月の四日」のなかにも〈一本の大きな栗の木が、美しい黄金いろのやどりぎのまりをつけて立っていました〉とある。
 宿り木は、大木で、条件の良いところの木にだけにできる「happy tree」らしい。
 
 来年は良い年でありますように。
 
 

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2017年12月 6日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 302


        盲導犬

 今年は、山も野も里も紅葉が美しい。柿も豊作だ。
 年末になり、年賀状について考えていた。奈良法華寺のお守り犬にしようかな。とも、考えていたらバスで乗り合わせた盲導犬のことを思い出した。写真を写さしてもらっていた。
 最近の新聞記事に、徳島県の駐車場での事故もあった。都会での電車のホームからの転落事故もよく起きる。健常者は、障害のある方を理解し、手助けの方法を知らなければならない。

 盲導犬の賢さについて、大きな経験をしたことがある。30年程前であろうか。県立図書館の職員であった頃、慶応大学の関係者一行が来高され、案内を仰せつかった。その中に、福沢諭吉の孫娘で視覚障害者の方がいた。一行が高知城の天守閣へ行くことになり、彼女も行くということで、私は驚いた。彼女は作家で、私の傍で行動した。「犬には、絶対に触れないで」との注意を受けた。犬は、私の歩調に合わせて歩いた。無事に天守閣まで行くことが出来た。その後、龍河洞へも行き、洞穴内も散策した。
 その後、彼女が書いた盲導犬について書いた本も頂き、読んだ。盲導犬のすごさは、主人の安全を常に確保すること。主人が危険であると、察知すると、命令に反しても様子を確認する。

 最近の徳島の場合、トラックが警報音を出していなかったので、犬は対応が出来なかったということである。弱者保護に手を貸してあげられるようでありたい。(自分も…であるが、杖に頼って歩いているが)
 
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2017年11月27日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 301


    英語スピーチコンテスト

 11日23日、高知県こども英語弁論大会が開かれた。
 5歳の孫もそれに参加し、堂々とスピーチをしたようだ。参加賞の他に、賞状をもらってきた。足が少々不自由なおじいちゃんは、その場に参加できず残念だった。が、家でおじいちゃん「聞いて」と、練習する孫に感嘆していた。
 賞には、知事杯、市長杯などの他に、「ジョン万杯」もある。ジョン万とは、漁船で漂流中、アメリカ船に助けられアメリカに渡り英語の世界を体験したあの中浜万次郎である。先日、龍馬記念館を訪ねた折、来年落成の新館に「龍馬に英語の世界を知らしめたジョン万」のコーナーを設けるとのことであった。

 戦時中に子供時代を過ごし、「敵性語」を話すのは以ての外であった。大学で困った一番は、これであった。孫が優しい声で、堂々とスピーチする姿にうっとりする。「あっぷる」などと云おうものなら、「ダメダメ」で有る。家では、原則日本語で会話するように決めている。
 ふつうの幼稚園に通っているから、お友達とも違和感無く過ごしているようだ。忍者試験にとおった、お芋掘りをした、お芋を洗ったと普通の子供に育っている。
 ともあれ今は人との付き合いを学んで欲しい。
 
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2017年11月15日 (水)

広谷喜十郎の歴史散歩 300

     高知県立坂本龍馬記念館

 先月末、坂本龍馬記念館の運営委員会に出席した。
 本年は、龍馬没後150年にあたる。そして「大政奉還150年」でもある。高知県では、幕末維新博覧会を県下20余の会場で催している。
 龍馬に関する新史料も発見され多くの人の関心が高まっている。
 本来ならば、坂本龍馬記念館が主体となるはずであるが、新館併設工事中である。県外の諸施設に所蔵の重要資料を提供、職員達も同行して特別展が行われたとのこと。
 運営委員会終了後、建設工事中の新館の様子を見ることが出来た。展示会場を広く設けているので、ここに似合うだけの話題性のある「新史料」がお披露目されるであろう。来春・4月のグランドオープンが待たれる。
 
 龍馬は、天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日に暗殺された。来年は、「明治維新150年」である。
 この館に、寄せられている県民の期待は大きい。私もこの館の発足前から、関わってきたこともあり、お手伝いが出来たらと思う。


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2017年10月28日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 299

          かぼちゃの話

 近年広まったハローウィンにつられて、かぼちゃが脚光を浴びるようになった。収穫祭の祭りに始まった行事だから、かぼちゃは大きな顔をしてよいわけだ。
 ハローウィンにランタンになる物は、飼料用に作られた物・デカかぼちゃである。食用のかぼちゃは、黒いシールでそれらしい顔に装い、あとで食用とすると良いと、テレビで云っていた。
 かぼちゃは、果実を食用とする。炭水化物の他に、ビタミン・ミネラル類を含む健康食品である。戦後の食糧難の時代、いもと並び重要な食物であった。とげとげの茎も食べたような気がする。焼け跡にうえた「救荒食品」で有ったかぼちゃはよく盗まれたらしい。野菜の中でも特に強健で、栽培も容易。
 井原西鶴が女性の好むものとして「芝居、浄瑠璃、芋、蛸、南瓜」をあげたという説がある。何年か前の「朝ドラ」の題に、「いも、たこ、なんきん」というのがあったようだ。また、料理人の遊び心から、夏の料理や献立名に多く使われてきた。が、そのイモは、さといもであった。南瓜は、戦国時代末期にポルトガルから伝わったらしい。カンボジアを意味する「カンボジャ」、瓜類意味する「ボウフラ」などの名がある。
 他に、中国経由の「唐茄子」、「南京」もある。
 先日、土佐市のドラゴン広場で「バターナッツ」というのを買い求めた。ケーキやスープに使うと良いらしい。
 近所の農家からいただいた「万次郎カボチャ」は、西洋カボチャ・日本カボチャを交配し、さらに現代人の好みに合うように改良したものであるらしい。食味し好と農業技術が常に進化するということだ。
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2017年10月21日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 298


    「今を生きる禅文化」特別展と白隠について

 高知県立歴史民俗資料館の特別展が始まった。初日には、臨済宗有馬頼底猊下の講演があった。これが人気で、予約申し込みは受付初日に満席になったとか。国宝・国重要文化財など、県内外から前・後期併せて100点余が展示されると云う。
 2日目に観覧に行ってみた。地方での博物館事業として、よくぞこれほど内容の濃い立派な展示ができたと、感じた。白隠禅師没後250年記念事業の流れを受けたからこそであろう。
 以前、京都の禅寺をいくつか訪ねていた時、京都文化博物館で「白隠・禅と書画」展にも行った。この禅師は、江戸時代中期の臨済宗中興の租といわれる、破格の人物であったと、いう。展示品を拝見しながら、驚きの連続であった。この展示の図録の中で、解説文を書いた専門家が「驚き、桃の木、山椒の木」と結論づけている。外国人の評論家も「現代西洋哲学の源流」につながる人物だと、高い評価をしている。
 彼は駿河(静岡県原町)生まれ、富士山の噴火等天変地異に恐れを抱き15歳で出家したという。24歳の時、一晩中座禅をしていた時に悟りを持つことが出来たと云われる。その時の気持を「南無地獄大菩薩」と、書き残している。彼の凄さは、禅宗の教えを体系的にまとめただけではなく、庶民の為に仮名書きしたり、迫力のある手紙や歌を書き、禅画や墨書を能くした。なかでもダルマ絵が有名である。(今回の展示で、草流舎の田村さんの「ダルマ絵付」教室も行われる)白隠師は、故郷に近い龍澤寺に道場を設け、生涯をこの地で過ごした。「駿河には過ぎたるものが二つ有り、富士のお山と原の白隠」と唄われるほど有名であった。吸江寺の小林玄徹師もここで厳しい修行をされたと聞く。
 夢窓疎石は、浦戸湾内の絶景を愛し、『碧巌録』より吸江の二字を獲て命名した。草庵の眼前に広がる浦戸湾の風景を中国の西湖に見立て、吸江と名付けた。「吸江十景」を選んでいる。
 佐川町のくろがね窯の竹村脩氏がこの絵を抹茶碗に絵付けしていた。妻がこれを所持していたが、玄徹師に差し上げた。
 浦戸湾の埋め立てが進み、吸江からの眺めもずいぶん変わった。先日の「ブラタモリ」の番組でも可哀想な浦戸湾風景であった。

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