2017年3月21日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 277

    またまた淡路島へ

 次男がまたまた淡路島へ連れていってくれた。加齢に加えて体力が衰えたのを案じて、休日に遠出をさせてくれる。
 この連休には、淡路島の穴子料理を食べにいった。あなごの天ぷらは、四国内でも食べられるが、「地産地消の贅」を看板の「あなご弁当」を食べに行った。
高知では、うなぎの蒲焼きというところである。以前に、名古屋のすし屋であなごの1匹のった寿司を試みたことはあったが、椎茸を混ぜ込んだ飯に鎮座したあなごはなかなか美味しかった。
 美味しいものには人が群がるから、食するためには忍耐がいる。
 心身が満足し、帰途についたら、道路沿いの紀伊水道の海面がピンク色だ。車を停めてみると、ゴミが散乱。産廃ではなく、個人的なゴミ投棄だ。心の慚愧が求められる。
 我が古里・地球を守ろうではありませんか。

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2017年3月 9日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 276

    こおち、こうち???
 
 先頃、近親が集まり、城西館で食事会をした。昔、今上陛下や皇太子殿下に召されたことがあったので懐かしかった。
 今回は、5才になった孫娘がしっかりとした挨拶をし、爺・婆はウルウル。緊張することも無く、美味しく楽しく食事をした。
 お膳の上の「箸袋」の表記を見て??となった。折しも、幡多郡十和の訓みの疑問。「とおわ」なのか「とうわ」なのか??

 現在の高知城のある山名は、数百年前から大高坂山と呼ばれていた。大高坂松王丸の居城であった。江戸時代初期、山内一豊が入国し築城した折、「河中(こうち)山」と改名した。
 その後、五台山の空鏡上人から「高智山」と改名してもらったという記録がある。五台山の仏様の高い智恵を授かりたいとの強い思いから。河中と高知は、同じ字音であるから高知になったという。
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2017年2月25日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 274


      雛の節句

 孫娘も5才になった。もうすでに、雛飾りをしてある。お菓子やごちそうを待ちわびて、あれこれ注文を述べている。
 知人で「桃子さん」がいる。この頃に、生まれたと云う。妻が買い物に行く途中のお家で桃の花が満開であったと、嬉しげに話していた。そのお家にもお嬢さんがいるという。
 このところ、正月は淡路島へいく。そして、伊弉諾神宮に詣る。その由緒書でも「伊弉諾大神が黄泉の国に立ち入られたとき、桃の実の霊力によって醜鬼から逃れた。当神宮の最重儀である粥占行事(一月十五日)で桃の小枝の薪で邪気を祓い粥を炊き上げるのもこの故事に由来する」とある。    「神桃絵馬」は悪気祓い、魔除け、厄除の力があるとして参詣者に提供している。
 高知市桂浜に近い三里地区は、かつて桃の里として知られていた。そこに、明治13年3月2日田中貢太郎が生まれた。彼は、後に作家として有名になる。ペンネームを「桃葉」と名付けている。桂浜に記念碑が有り、近くにも師・大町桂月の碑もある。名月の夜、両人とも酒好きであったからこの地の酒供養祭がおこなわれている。

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2017年2月 7日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 273

    恵方巻から立春へ

 2月3日の節分。最近は、縁起のよい方に向かって巻寿司を食べると福がやって来ると宣伝されている。数年前までは、煎り大豆を齢の数だけ包み辻に置いてくる、とされていた。今年も辻に置かれた紙包みの大豆が哀れである。
 「恵方巻」のほうが、環境保全のためにも近所迷惑にもならず有効であろう。恵方巻の風習は、関西地方が発祥の地だと言われているが、海苔問屋あたりの宣伝だとの説が有力である。最近になり、大手コンビニが目を向け、スーパーやコンビニの競争商品になっている。
 我が家では、食物アレルギーのある孫のためにお婆ちゃん特製のり巻きを作った。5才の孫娘は、2本をペロリと平らげた。爺は、目尻が下がるのみである。こうして、春を迎える行事が後世に伝わることは嬉しい。
 湯浅浩史著『植物と行事』(朝日新聞刊)によると、節分の日の豆まき行事が有名になっているが、ヒイラギを出してくる方がもっと古くからあるという。
〈文献上では、千年もさかのぼる。平安時代、紀貫之は元旦に都を偲び「今日は都のみぞ思ひやらるる。小家の門に端出之縄、なよしの頭、ひひらぎ等いかにぞ言ひあへる。」と『土佐日記』に書いた〉と、紹介している。ここでの魚「なよし」はボラだという。なお、別書によると、豆まきは中国伝来の行事で、後代の室町時代だというからヒイラギの行事は古くから存在してたことになる。
 サンタさんが持ってきてくれた愛車に乗って、散歩に出かけた孫は、春を告げる草花を「お土産」と、爺に持ってきてくれる。


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2017年2月 2日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 272

     春近し?

 1月25日付高知新聞に、「黒潮町の明神水産 一本釣り船団出港」の記事があった。〈カツオ・マグロ類の漁獲高が昨年まで4年連続で日本一を記録した〉2隻の明神丸が小笠原諸島と鹿児島沖方面に向かったという。
 私は、『高知県カツオ漁業史(近世篇)』を執筆している。これらの記事を読みながら、毎年のカツオ漁を期待している。

 カツオ船団の出港と共に、思い浮かぶのは「オガタマの木」の花である。この木のことを教えてくれたのは、2年前に亡くなった故林勇作氏である。
彼は、中土佐町役場の職員であり、「カツオ漁業史」の作成に共に携わった。そして、カツオ漁業資料館建設を共に願っていた。久礼八幡宮の境内にある青々として香り高いオガタマを誇りに思っていた。「町の木」として指定したり、この木の花に惹かれてくる、国の特別天然記念物の蝶や鳥を町の宝として扱っていた。
 『四国の樹木観察図鑑』(高知新聞社)の「オガタマノキ」の条に、〈沿岸部の照葉樹林内に稀に自生する常緑高木・葉は常緑で光沢があるため神事に用いる木(略)和名は「招霊(オガタマ)」、「拝み霊」からの転訛と言われ(略)神霊を招くのに用いられる〉とあるように、神木として存在していた。1円硬貨の紋様でもある。花は初夏に咲き、果実がはぜて、紅色の種子が見える姿から「神霊鈴」の原型にもなった。この花に惹かれてくる蝶が「ミカドアゲハ」である。
 なお、天皇陛下の弟君・常陸の宮様の「おしるし」でもあるそうだ。
 いの大黒さま・薫的神社など近隣の神社でも木は見られる。花は、高いところに咲くのでなかなか見られない。


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2017年1月16日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 271

     龍馬が福井・越前へ行く

『高知新聞』1月13日付夕刊に「龍馬(新国家)の財政重要」、「暗殺5日前の直筆手紙」、「新政府に由利公正推挙」の見出しのトップ記事が大きく出た。この手紙は、龍馬が越前藩重臣の中根雪江に宛てた書状である。
 由利公正とは三岡八郎のことである。文久3年、龍馬が越前を訪れた際、横井小楠と共に面談した相手であった。三岡は、龍馬に藩の財政改革をおこない成果を上げた話を聞かせた。

 平成8年と平成12年、「幕末サミット」が福井市で実施された。パネラーの一人として、当時の市長・松尾徹人氏と共に参加した。この会議で得た成果は、土佐史談会の「越前藩と坂本龍馬との関係」に発表したので、興味のお有りの方はそちらもどうぞ。
 このなかで、松平春嶽や横井小楠等について触れた。慶応3年、再度わざわざ三岡八郎(由利公正)に会いにいったのは、〈日本には関税自主権がなく(略)きわめて不利な状態におかれていた。経済的にも混乱していた。それで、八郎の財政策を聞く必要があったと、思われる〉と、書いた。
 今回見つかった龍馬の書状の宛先が「中根雪江」であったことは、拙稿の補足資料の発見であり、有り難い。
 こいつアは春から、縁起がいい(?)かな。
   由利公正
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2017年1月 3日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 270


     オノコロ島神社参詣

 新年おめでとうございます。
 私も老骨に鞭打ち、家族に助けられながらも元気で頑張ろうと思っています。 

 今年も元旦は、淡路島の海辺のホテルで迎えた。朝食中に、初日の出を拝むことが出来た。今年も元気で過ごせるようにと願っている。
 国生み神話で名高い伊弉諾神宮へ初詣に行った。西日本各地からの参拝者で賑わっていた。「いっくさん」と呼ばれ、イザナギ・イザナミゆかりの神を祀っているので、老若男女・ペット犬(専用車に乗せて)で溢れかえっていた。
 『由緒書』によると、国生みの大きな役を果たしたイザナギは、国治行為を天照大神に任せ、晩年の余生をこの地で過ごしたという。〈住居跡に御陵が営まれ、志貴の聖地として最古の神社が創始されたのが当神社の起源である〉と伝えている。
 『古事記』や『日本書紀』によると、オノコロ島は二神が国生みの折、天の沼矛(アメノヌマボコ)の先から滴り落ちたしずくが固まって出来た日本列島最初の島だという。こちらのオノコロ島神社もたくさんの車・人で溢れていた。巨大な赤い大鳥居は、21.7mもあるという。
 両社とも平成7年の阪神・淡路大震災で、被害を受ける。地元氏子らにより立派に再建されている。

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2016年12月24日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 269


    いの大黒さま・椙本神社

 吾川郡いの町の大黒さまを祀る椙本神社を訪ねた。勉強会で「仁淀川の文化的景観を守る神社」として少しばかり話をした。
「仁淀川ブルー」と呼ばれる水質の良さを誇る大河沿いにある。奈良時代の『風土記』(713年)には、〈神河(三輪川と唱ふ)…〉と記されているように清い流れであったから、酒造りもされた。酒は、土佐の大神(土佐神社)に奉納された。
 平安時代になると、中央政府が編集した『延喜式』(801年)によると、この川で産した鮎を贄殿(にえどの)へ納めたので、贄殿川と改称された。河川鎮めの神として大きな役割を果たしてきた。
 中世・鎌倉時代の弘長3年(1263)に製作された「八角形漆塗神輿」が保存されている。この神輿、極めて手の込んだ入念な造りで、国の重要文化財に指定されている。八角形の神輿は全国的にも珍しい。753年間も、静謐・優美で和やかな渡御祭が継続されているのも嬉しい。この祭礼も文化財に指定されるべきものである。
 江戸時代初頭には、山内一豊が籾五俵を奉納している。高知城築城中であったが、長宗我部旧家臣の不穏な動きをも睨んでのことであったろう。
 江戸時代になり、いの町は神の町として発展していく。そして大国主命の多面性が物語るように、医療・招福などの信仰も加わる。祭礼ともなれば藩内各地より多数の信者が参詣に訪れる。現代にも続いている。
 最近、奉納されたお宝は、宮内庁からの御下賜品。五色の絹布・皇后様の工房のお蚕から作られたものではないだろうか。特別の箱に収められている。
 来年の絵馬も準備されて、新年を待つばかりになっている。
 皆様、良いお年を御迎え下さい。

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2016年12月10日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 268

      来年の干支はトリ

 今年も残り少なくなった。朝夕はめっきり寒くなった。が、近所には桜も紅葉ものお宅もある。「花も紅葉も有りにけり」である。藤原定家が詠んだ歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」のパロディーのような、浦の苫屋ではなく豪邸である。桜は10月末から咲き、現在も次々と咲き続けている。新芽も膨らみかけ緑がちょっぴり。紅葉の下には、地鶏が。
 吾川郡いの町の草流舎・田村雅昭氏製作の干支人形。「土佐和紙漆喰張り子・矮鶏」を届けて頂いた。矮鶏とは、小型のニワトリのことで「チャボ」と呼ばれる。田村氏によると「野生の鶏・赤色野鶏を色濃く受け継ぐ、土佐の地鶏から生まれた小さくて可愛い…」というように、きわめて愛らしい人形に仕上がっている。田村氏は、ここ数年独自に開発した「漆喰張り子」に取り組んでいる。張り子の体内には、無患子(ムクロジ)の実が入っている。振るとコロコロ鳴る仕掛けだ。ムクロジは、少し昔まで「羽根つき」に使われた。一名「延命皮」とも呼ばれる縁起物である。
 今年も田村氏の「素朴な干支と縄文のプシュケ展」は、12月17日〜いの町紙の博物館で開催される。
 鳥と云えば「若冲」であろうか。画集で馴染みであったが、京都や名古屋へ若冲展を何度か見に行った。アメリカ人のプライス氏の収集したコレクション展を見、館内のレストランで展示に因んだお料理を味わった。懐かしい思い出である。ほんのこの間のことである。
 庭のドウダンは紅葉し、椿の花が次々と花を開く。時はどんどん進んでいく。85才になったばかりだが。

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2016年11月26日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 267

 晩秋

 急に「寒波到来」と思ったが、いつものことである。齢を重ねたことがまずその1であろう。テレビのニュースでは、まず「東京」で…。
 朝夕の冷え込みは、厳しくなった。日中は縁側で日向ぼっこである。
 まだ足腰がたしかであった頃は毎年、石鎚スカイラインから岩黒山登山をしていた。スカイライン閉鎖の直前日曜日であったから、25日付『高知新聞』の「瓶ヶ森霧氷輝く」の記事を見て懐かしい気持になった。
 高知市の広報紙に「高知市の歴史散歩」を長らく連載を続けて来た。80才になると、チョン。息子達の勧めにより、このブログを始めました。
 が、週1は、厳しくなったので、「月2回」にします。この後もご愛読下さい。頭髪は、白く薄くになりました。11月20日に、85歳になりました。
〈年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず。言を寄す 全盛の紅顔の子。応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁。〉
 まだまだ元気です。

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