2017年2月 7日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 273

    恵方巻から立春へ

 2月3日の節分。最近は、縁起のよい方に向かって巻寿司を食べると福がやって来ると宣伝されている。数年前までは、煎り大豆を齢の数だけ包み辻に置いてくる、とされていた。今年も辻に置かれた紙包みの大豆が哀れである。
 「恵方巻」のほうが、環境保全のためにも近所迷惑にもならず有効であろう。恵方巻の風習は、関西地方が発祥の地だと言われているが、海苔問屋あたりの宣伝だとの説が有力である。最近になり、大手コンビニが目を向け、スーパーやコンビニの競争商品になっている。
 我が家では、食物アレルギーのある孫のためにお婆ちゃん特製のり巻きを作った。5才の孫娘は、2本をペロリと平らげた。爺は、目尻が下がるのみである。こうして、春を迎える行事が後世に伝わることは嬉しい。
 湯浅浩史著『植物と行事』(朝日新聞刊)によると、節分の日の豆まき行事が有名になっているが、ヒイラギを出してくる方がもっと古くからあるという。
〈文献上では、千年もさかのぼる。平安時代、紀貫之は元旦に都を偲び「今日は都のみぞ思ひやらるる。小家の門に端出之縄、なよしの頭、ひひらぎ等いかにぞ言ひあへる。」と『土佐日記』に書いた〉と、紹介している。ここでの魚「なよし」はボラだという。なお、別書によると、豆まきは中国伝来の行事で、後代の室町時代だというからヒイラギの行事は古くから存在してたことになる。
 サンタさんが持ってきてくれた愛車に乗って、散歩に出かけた孫は、春を告げる草花を「お土産」と、爺に持ってきてくれる。


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2017年2月 2日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 272

     春近し?

 1月25日付高知新聞に、「黒潮町の明神水産 一本釣り船団出港」の記事があった。〈カツオ・マグロ類の漁獲高が昨年まで4年連続で日本一を記録した〉2隻の明神丸が小笠原諸島と鹿児島沖方面に向かったという。
 私は、『高知県カツオ漁業史(近世篇)』を執筆している。これらの記事を読みながら、毎年のカツオ漁を期待している。

 カツオ船団の出港と共に、思い浮かぶのは「オガタマの木」の花である。この木のことを教えてくれたのは、2年前に亡くなった故林勇作氏である。
彼は、中土佐町役場の職員であり、「カツオ漁業史」の作成に共に携わった。そして、カツオ漁業資料館建設を共に願っていた。久礼八幡宮の境内にある青々として香り高いオガタマを誇りに思っていた。「町の木」として指定したり、この木の花に惹かれてくる、国の特別天然記念物の蝶や鳥を町の宝として扱っていた。
 『四国の樹木観察図鑑』(高知新聞社)の「オガタマノキ」の条に、〈沿岸部の照葉樹林内に稀に自生する常緑高木・葉は常緑で光沢があるため神事に用いる木(略)和名は「招霊(オガタマ)」、「拝み霊」からの転訛と言われ(略)神霊を招くのに用いられる〉とあるように、神木として存在していた。1円硬貨の紋様でもある。花は初夏に咲き、果実がはぜて、紅色の種子が見える姿から「神霊鈴」の原型にもなった。この花に惹かれてくる蝶が「ミカドアゲハ」である。
 なお、天皇陛下の弟君・常陸の宮様の「おしるし」でもあるそうだ。
 いの大黒さま・薫的神社など近隣の神社でも木は見られる。花は、高いところに咲くのでなかなか見られない。


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2017年1月16日 (月)

広谷喜十郎の歴史散歩 271

     龍馬が福井・越前へ行く

『高知新聞』1月13日付夕刊に「龍馬(新国家)の財政重要」、「暗殺5日前の直筆手紙」、「新政府に由利公正推挙」の見出しのトップ記事が大きく出た。この手紙は、龍馬が越前藩重臣の中根雪江に宛てた書状である。
 由利公正とは三岡八郎のことである。文久3年、龍馬が越前を訪れた際、横井小楠と共に面談した相手であった。三岡は、龍馬に藩の財政改革をおこない成果を上げた話を聞かせた。

 平成8年と平成12年、「幕末サミット」が福井市で実施された。パネラーの一人として、当時の市長・松尾徹人氏と共に参加した。この会議で得た成果は、土佐史談会の「越前藩と坂本龍馬との関係」に発表したので、興味のお有りの方はそちらもどうぞ。
 このなかで、松平春嶽や横井小楠等について触れた。慶応3年、再度わざわざ三岡八郎(由利公正)に会いにいったのは、〈日本には関税自主権がなく(略)きわめて不利な状態におかれていた。経済的にも混乱していた。それで、八郎の財政策を聞く必要があったと、思われる〉と、書いた。
 今回見つかった龍馬の書状の宛先が「中根雪江」であったことは、拙稿の補足資料の発見であり、有り難い。
 こいつアは春から、縁起がいい(?)かな。
   由利公正
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2017年1月 3日 (火)

広谷喜十郎の歴史散歩 270


     オノコロ島神社参詣

 新年おめでとうございます。
 私も老骨に鞭打ち、家族に助けられながらも元気で頑張ろうと思っています。 

 今年も元旦は、淡路島の海辺のホテルで迎えた。朝食中に、初日の出を拝むことが出来た。今年も元気で過ごせるようにと願っている。
 国生み神話で名高い伊弉諾神宮へ初詣に行った。西日本各地からの参拝者で賑わっていた。「いっくさん」と呼ばれ、イザナギ・イザナミゆかりの神を祀っているので、老若男女・ペット犬(専用車に乗せて)で溢れかえっていた。
 『由緒書』によると、国生みの大きな役を果たしたイザナギは、国治行為を天照大神に任せ、晩年の余生をこの地で過ごしたという。〈住居跡に御陵が営まれ、志貴の聖地として最古の神社が創始されたのが当神社の起源である〉と伝えている。
 『古事記』や『日本書紀』によると、オノコロ島は二神が国生みの折、天の沼矛(アメノヌマボコ)の先から滴り落ちたしずくが固まって出来た日本列島最初の島だという。こちらのオノコロ島神社もたくさんの車・人で溢れていた。巨大な赤い大鳥居は、21.7mもあるという。
 両社とも平成7年の阪神・淡路大震災で、被害を受ける。地元氏子らにより立派に再建されている。

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2016年12月24日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 269


    いの大黒さま・椙本神社

 吾川郡いの町の大黒さまを祀る椙本神社を訪ねた。勉強会で「仁淀川の文化的景観を守る神社」として少しばかり話をした。
「仁淀川ブルー」と呼ばれる水質の良さを誇る大河沿いにある。奈良時代の『風土記』(713年)には、〈神河(三輪川と唱ふ)…〉と記されているように清い流れであったから、酒造りもされた。酒は、土佐の大神(土佐神社)に奉納された。
 平安時代になると、中央政府が編集した『延喜式』(801年)によると、この川で産した鮎を贄殿(にえどの)へ納めたので、贄殿川と改称された。河川鎮めの神として大きな役割を果たしてきた。
 中世・鎌倉時代の弘長3年(1263)に製作された「八角形漆塗神輿」が保存されている。この神輿、極めて手の込んだ入念な造りで、国の重要文化財に指定されている。八角形の神輿は全国的にも珍しい。753年間も、静謐・優美で和やかな渡御祭が継続されているのも嬉しい。この祭礼も文化財に指定されるべきものである。
 江戸時代初頭には、山内一豊が籾五俵を奉納している。高知城築城中であったが、長宗我部旧家臣の不穏な動きをも睨んでのことであったろう。
 江戸時代になり、いの町は神の町として発展していく。そして大国主命の多面性が物語るように、医療・招福などの信仰も加わる。祭礼ともなれば藩内各地より多数の信者が参詣に訪れる。現代にも続いている。
 最近、奉納されたお宝は、宮内庁からの御下賜品。五色の絹布・皇后様の工房のお蚕から作られたものではないだろうか。特別の箱に収められている。
 来年の絵馬も準備されて、新年を待つばかりになっている。
 皆様、良いお年を御迎え下さい。

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2016年12月10日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 268

      来年の干支はトリ

 今年も残り少なくなった。朝夕はめっきり寒くなった。が、近所には桜も紅葉ものお宅もある。「花も紅葉も有りにけり」である。藤原定家が詠んだ歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮」のパロディーのような、浦の苫屋ではなく豪邸である。桜は10月末から咲き、現在も次々と咲き続けている。新芽も膨らみかけ緑がちょっぴり。紅葉の下には、地鶏が。
 吾川郡いの町の草流舎・田村雅昭氏製作の干支人形。「土佐和紙漆喰張り子・矮鶏」を届けて頂いた。矮鶏とは、小型のニワトリのことで「チャボ」と呼ばれる。田村氏によると「野生の鶏・赤色野鶏を色濃く受け継ぐ、土佐の地鶏から生まれた小さくて可愛い…」というように、きわめて愛らしい人形に仕上がっている。田村氏は、ここ数年独自に開発した「漆喰張り子」に取り組んでいる。張り子の体内には、無患子(ムクロジ)の実が入っている。振るとコロコロ鳴る仕掛けだ。ムクロジは、少し昔まで「羽根つき」に使われた。一名「延命皮」とも呼ばれる縁起物である。
 今年も田村氏の「素朴な干支と縄文のプシュケ展」は、12月17日〜いの町紙の博物館で開催される。
 鳥と云えば「若冲」であろうか。画集で馴染みであったが、京都や名古屋へ若冲展を何度か見に行った。アメリカ人のプライス氏の収集したコレクション展を見、館内のレストランで展示に因んだお料理を味わった。懐かしい思い出である。ほんのこの間のことである。
 庭のドウダンは紅葉し、椿の花が次々と花を開く。時はどんどん進んでいく。85才になったばかりだが。

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2016年11月26日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 267

 晩秋

 急に「寒波到来」と思ったが、いつものことである。齢を重ねたことがまずその1であろう。テレビのニュースでは、まず「東京」で…。
 朝夕の冷え込みは、厳しくなった。日中は縁側で日向ぼっこである。
 まだ足腰がたしかであった頃は毎年、石鎚スカイラインから岩黒山登山をしていた。スカイライン閉鎖の直前日曜日であったから、25日付『高知新聞』の「瓶ヶ森霧氷輝く」の記事を見て懐かしい気持になった。
 高知市の広報紙に「高知市の歴史散歩」を長らく連載を続けて来た。80才になると、チョン。息子達の勧めにより、このブログを始めました。
 が、週1は、厳しくなったので、「月2回」にします。この後もご愛読下さい。頭髪は、白く薄くになりました。11月20日に、85歳になりました。
〈年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず。言を寄す 全盛の紅顔の子。応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁。〉
 まだまだ元気です。

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2016年11月18日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 266

   イノシシが街中へ

 『高知新聞』11月12日付の記事に、「高知駅周辺イノシシ出没」、「1頭捕獲後も目撃相次ぐ」とあった。4日頃から目撃情報があり、1頭は捕獲したものの、他に1頭が出没し大騒ぎになっていたと云う。
 捕獲されていないイノシシは、愛宕町で目撃されたと云う。この町で住んでいたこともあり、大変驚いた。15日付に記事によると、かつて息子が通学していた中学校でもイノシシが掘ったとみられる痕跡が見つかり、警戒が続いているという。
 この町の北方・久万山から来ただろうと推測されている。この山の北東斜面の団地に20年程住んでいたから「オットットー」という感じがする。子供たちが駆け巡った場所である。
 
 この騒動で思い出すことがある。かつて県庁の職員であった頃、忘年会の幹事役を務めたことがある。註文が多かったのは、イノシシ肉を食べれる店を。と、いう意見である。寒くなって、身体を温める食べ物を望むことであろう。
 もう一つ、京都・建仁寺を訪ねた。その塔頭の一つに禅居庵があり、本尊の摩利支天尊像は七頭のイノシシの上に座している。岡山県には、和気清麻呂神社もある。イノシシのように勇ましい動物にあやかりたいとの願いから建てられている。
  京都・建仁寺 
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 下の写真が岡山・和気清麻呂神社

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2016年11月12日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 264


    八咫烏(ヤタガラス)神社

 もう20年程前からサッカー人気が続いている。新聞やテレビでも大きく扱われている。学校でも「中高部員サッカー1強、ソフト、相撲半減」(『高知新聞』)という状態になっているそうだ。
 日本サッカー協会のシンボルマークは、和歌山の熊野神社の神鳥である三本足の八咫烏から設けられたものである。国際試合に出場している選手たちのユニフォームには、ヤタガラスのワッペンが輝いている。日本の若い選手達にとっては、憧れのユニフォームであろう。
 20年程前に、和歌山の熊野三山(本宮・速玉・那智)を参拝した。三社とも絵柄は異なるが、熊野権現の使者としてヤタガラスの幟旗が立てられていた。
 『日本書紀』の神武天皇の条に〈天照大神が天皇に対して「吾は今、八咫烏を遣わすから、これに案内させよ」とのお告げがあった〉ので、無事に大和の宇陀まで行くことができた。と、云う故事からきている。
 平成8年には、奈良から和歌山へ通じる国道も通った。大台ケ原登山もした。山頂近くには、大きな神武天皇像が建っていて驚いたものである。この辺りが、天皇の東征の道筋であったろう。この道筋を下ると、奈良県の宇陀へ通じる。奈良県榛原町にある「八咫烏神社」へも詣でたことがある。その頃は、参拝者にも出会わず静かな朝のお務めの様子が眺められた。
 『朝日新聞』(平成14年5月20日付)によると〈日本サッカー協会がシンボルにしている三本足のカラス由来との説がある八咫烏を祀った神社で(略)19日、選手の健闘と安全を願う「八咫烏祭」が催された〉。この頃から、サッカーファンの人々の参詣が多くなったと思われる。国際試合も多くなり、各地のご贔屓チームの勝利を願う人々で賑わっているようだ。毎日のテレビのニュースでも取り上げられている。
 高知市本宮町の本宮神社の絵馬もヤタガラスである。

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2016年11月 5日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 263

   ハローウィン

 先月末の日曜日、二男が夕食に連れて行ってくれた。寿司屋(と、いっても回転寿司だが)に行った。ここは、地魚も出てくる。店内の雰囲気がなんとなく違う。「???」と思ったら、寿司職人たちが被り物をしている。お化けランタンや動物を頭につけてはいるが、いつもの様にかいがいしく働いている。やっと気がついた。明日は、ハローウィンだ。孫が「メルちゃんになるよ。ママはミニヨンズだよ。」と話していたが。???
 都知事・古池百合子氏は、『リボンの騎士』の主人公・サファイアのコスチュームに身を包んで登場した。が、リオ五輪の閉会式の安倍総理の「マリオ」のほうが、皆を驚かした。
 ハローウィンとは、ケルト人の夏の終わり・冬の始まりを祝うお祭りから始まったようだ。収穫祭の意味もあるから、カボチャのランタンを飾ったりもする。日本の勤労感謝の日・大晦日のような位置づけであろうか。大統領選をひかえたアメリカでは、2人の候補者を皮肉ったような仮装が大受けだったようだ。日本では、1990年代後半の東京ディズニーランドのイベントから始まったそうである。10月31日(月)町に出かけると、小公園の木陰から「長いねこのしっぽ?」と、怪しげに身を隠す少女2人。学校をさぼって商業施設のイベントへ行くのだな?と、元教師は???
 アガサ・クリスティ著『 ハローウィン パーティ』のなかでは、旬のリンゴも役を持って登場する。収穫祭だから。


 
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