2016年11月26日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 267

 晩秋

 急に「寒波到来」と思ったが、いつものことである。齢を重ねたことがまずその1であろう。テレビのニュースでは、まず「東京」で…。
 朝夕の冷え込みは、厳しくなった。日中は縁側で日向ぼっこである。
 まだ足腰がたしかであった頃は毎年、石鎚スカイラインから岩黒山登山をしていた。スカイライン閉鎖の直前日曜日であったから、25日付『高知新聞』の「瓶ヶ森霧氷輝く」の記事を見て懐かしい気持になった。
 高知市の広報紙に「高知市の歴史散歩」を長らく連載を続けて来た。80才になると、チョン。息子達の勧めにより、このブログを始めました。
 が、週1は、厳しくなったので、「月2回」にします。この後もご愛読下さい。頭髪は、白く薄くになりました。11月20日に、85歳になりました。
〈年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず。言を寄す 全盛の紅顔の子。応(まさ)に憐れむべし 半死の白頭翁。〉
 まだまだ元気です。

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2016年11月18日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 266

   イノシシが街中へ

 『高知新聞』11月12日付の記事に、「高知駅周辺イノシシ出没」、「1頭捕獲後も目撃相次ぐ」とあった。4日頃から目撃情報があり、1頭は捕獲したものの、他に1頭が出没し大騒ぎになっていたと云う。
 捕獲されていないイノシシは、愛宕町で目撃されたと云う。この町で住んでいたこともあり、大変驚いた。15日付に記事によると、かつて息子が通学していた中学校でもイノシシが掘ったとみられる痕跡が見つかり、警戒が続いているという。
 この町の北方・久万山から来ただろうと推測されている。この山の北東斜面の団地に20年程住んでいたから「オットットー」という感じがする。子供たちが駆け巡った場所である。
 
 この騒動で思い出すことがある。かつて県庁の職員であった頃、忘年会の幹事役を務めたことがある。註文が多かったのは、イノシシ肉を食べれる店を。と、いう意見である。寒くなって、身体を温める食べ物を望むことであろう。
 もう一つ、京都・建仁寺を訪ねた。その塔頭の一つに禅居庵があり、本尊の摩利支天尊像は七頭のイノシシの上に座している。岡山県には、和気清麻呂神社もある。イノシシのように勇ましい動物にあやかりたいとの願いから建てられている。
  京都・建仁寺 
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 下の写真が岡山・和気清麻呂神社

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2016年11月12日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 264


    八咫烏(ヤタガラス)神社

 もう20年程前からサッカー人気が続いている。新聞やテレビでも大きく扱われている。学校でも「中高部員サッカー1強、ソフト、相撲半減」(『高知新聞』)という状態になっているそうだ。
 日本サッカー協会のシンボルマークは、和歌山の熊野神社の神鳥である三本足の八咫烏から設けられたものである。国際試合に出場している選手たちのユニフォームには、ヤタガラスのワッペンが輝いている。日本の若い選手達にとっては、憧れのユニフォームであろう。
 20年程前に、和歌山の熊野三山(本宮・速玉・那智)を参拝した。三社とも絵柄は異なるが、熊野権現の使者としてヤタガラスの幟旗が立てられていた。
 『日本書紀』の神武天皇の条に〈天照大神が天皇に対して「吾は今、八咫烏を遣わすから、これに案内させよ」とのお告げがあった〉ので、無事に大和の宇陀まで行くことができた。と、云う故事からきている。
 平成8年には、奈良から和歌山へ通じる国道も通った。大台ケ原登山もした。山頂近くには、大きな神武天皇像が建っていて驚いたものである。この辺りが、天皇の東征の道筋であったろう。この道筋を下ると、奈良県の宇陀へ通じる。奈良県榛原町にある「八咫烏神社」へも詣でたことがある。その頃は、参拝者にも出会わず静かな朝のお務めの様子が眺められた。
 『朝日新聞』(平成14年5月20日付)によると〈日本サッカー協会がシンボルにしている三本足のカラス由来との説がある八咫烏を祀った神社で(略)19日、選手の健闘と安全を願う「八咫烏祭」が催された〉。この頃から、サッカーファンの人々の参詣が多くなったと思われる。国際試合も多くなり、各地のご贔屓チームの勝利を願う人々で賑わっているようだ。毎日のテレビのニュースでも取り上げられている。
 高知市本宮町の本宮神社の絵馬もヤタガラスである。

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2016年11月 5日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 263

   ハローウィン

 先月末の日曜日、二男が夕食に連れて行ってくれた。寿司屋(と、いっても回転寿司だが)に行った。ここは、地魚も出てくる。店内の雰囲気がなんとなく違う。「???」と思ったら、寿司職人たちが被り物をしている。お化けランタンや動物を頭につけてはいるが、いつもの様にかいがいしく働いている。やっと気がついた。明日は、ハローウィンだ。孫が「メルちゃんになるよ。ママはミニヨンズだよ。」と話していたが。???
 都知事・古池百合子氏は、『リボンの騎士』の主人公・サファイアのコスチュームに身を包んで登場した。が、リオ五輪の閉会式の安倍総理の「マリオ」のほうが、皆を驚かした。
 ハローウィンとは、ケルト人の夏の終わり・冬の始まりを祝うお祭りから始まったようだ。収穫祭の意味もあるから、カボチャのランタンを飾ったりもする。日本の勤労感謝の日・大晦日のような位置づけであろうか。大統領選をひかえたアメリカでは、2人の候補者を皮肉ったような仮装が大受けだったようだ。日本では、1990年代後半の東京ディズニーランドのイベントから始まったそうである。10月31日(月)町に出かけると、小公園の木陰から「長いねこのしっぽ?」と、怪しげに身を隠す少女2人。学校をさぼって商業施設のイベントへ行くのだな?と、元教師は???
 アガサ・クリスティ著『 ハローウィン パーティ』のなかでは、旬のリンゴも役を持って登場する。収穫祭だから。


 
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2016年10月28日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 262

      三重県の不思議な要石

 10月21日午後、鳥取県中央部で震度6弱のかなり強い地震が発生した。今回の地震は〈街直下型で 未知の活断層か?〉との新聞報道があった。熊本地震の場合も想定外の地震と云われた。と、云うことは、日本列島全体に置いて、何処でも地震が起きる可能性があるということであろうか。

 そこで、思い出すのは、阪神・淡路大震災だ。平成7年(1995)1月17日、高知市でも強い揺れがあった。大阪在住の長男から電話があり、弟と連絡が取れない、と。幸い何事もなかった。西宮在住の知人から「金だらいを送って欲しい」と。水を溜める・お湯を沸かす・お風呂になるが、手に入らない、と。
 その後、高速道路が開通し大阪方面へ旅行に出かけた。三重県の山中にある「地震防災の神」を祀る大村神社へお参りに行った。この神社の存在を知ったのは、昭和56年の朝日新聞の報道によってである。静岡や名古屋方面から、参拝者がバスで訪れ賑わっていると。記事では〈地震を起こすのは、ナマズだという信仰は昔からあって(略)そのナマズが地下に住んでいる。こいつの頭を要石(かなめいし)でしっかり押さえ、暴れて地震を起こさないように〉というものであると、云う。
 神社の本殿脇に要石が祀られていた。石の高さは30cm・直径約60cmで、注連縄が鉢巻き状にかけられていた。その脇には、体長1m程の焼物のナマズ像があって、水掛ナマズとして信仰されていると云う。境内の池には、数匹のナマズが泳いでいた。
 最近、ウナギの高騰で「ナマズの蒲焼き」が開発された。この近大ナマズ悪さをしなければ良いが。


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2016年10月21日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 261

     風の道

 去る10月5日午後、高知市や南国市の数カ所で竜巻騒ぎがあった。翌日の新聞報道によると、風の通り抜けたルートが図示されていた。20年程前にも、土佐神社辺から朝倉北部へ突風が通り抜けたことを思い出した。この頃から、身近にも風鎮めの信仰があることを知った。
 平成6年、親類の結婚式が奈良県の大神神社であり出席した。その折、法隆寺をも訪ねた。五重塔の頂上部に、4本の鎌が取り付けられていた。これにつき諸説あるが、雷除けのまじないであろうと言われている。法隆寺の脇にある龍田神社は、風鎮めの守り神でもある。
 同年8月、奈良の東部にある室生寺を訪ねた。「女人高野」と云われるここには、大きくはないがほれぼれする美形の五重塔があった。
 帰って直ぐの9月22日、台風によりこの塔が壊れた。傍にあった杉の大木が倒れ掛り、屋根が大破した。後日、この方面を訪ねると、風の通り抜けた谷間が一直線に被害を受けていた。三重県から奈良への杉がなぎ倒されていた。大神神社の神体山も裸になっていた。人知の及ばないことがある。

龍田神社
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      室生寺の破壊された様子(新聞報道写真)
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2016年10月14日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 260 

      体育の日

 やっと戻った秋晴れ!孫が待ちかねていた運動会。1日延びて快晴!!
 体育の日、近所の小学校の校庭で行われた。昭和39年の10月10日、東京オリンピックが開催された。10月10日は、晴れの特異日(東京)。当時は、土佐清水市の高校教員であったからあまり興味を抱いていなかった。テレビも持っていなかったし。妻は、学校の近所の四国銀行で並ばずに、記念硬貨を手にしたと云う。(しまい込みすぎて、見つからない)月給15,000なのに。其の後すぐに、修学旅行の引率で広島〜九州へ出かけ、宮島の旅館(ホテルではない)の小型白黒テレビで「東洋の魔女」の活躍に感激した。と、云う。
 オリンピック効果で、東海道新幹線開通。冷凍食品の技術・解凍法が急速に進歩した。
 この日は、昭和41年に「スポーツに親しみ、健康な心身をつちかう」趣旨の国民の祝日に制定された。
 運動会から帰って来た孫は、興奮覚めやらずで、皆に配られたであろうメダルを見せてくれた。爺が触れてはいけない宝物である。
 先日、リオ五輪のメダリストたちのパレードがあった。テレビで見ながら、大好きな白井健三選手に声援を送っている。
 平和な日々を楽しんでいる。

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2016年10月 8日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 259

    運河

 孫と過ごしていると、いろいろの面白い発見がある。まさに4才で「知りたがりや」好奇心のかたまりである。息子たちは幼い頃、毎晩「おさるのジョージ」の本を読んでもらいながら眠りについた。その古い本を読んでもらい興味を示していたが、新しく書き直されたジョージに出会いテレビで放映される番組に夢中になっている。
 新作の「ロンリーフィッシュ」では、池と湖を繋ぐ運河が登場した。高低差のある水路を魚が通行するために、ボートの櫂で水門を開閉する。

 パナマ運河やスエズ運河等世界に沢山の運河が建設された。未だ、陸路・空路輸送の時代ではなかった。日本でも水位差のない運河は、比較的簡単ではある。パナマ運河のように、高低差のある運河(閘門式)の場合貯水池も建設される。名古屋市の中川運河・松重閘門は、史跡として残されている。
 京都を訪ねる度に、琵琶湖疎水のあたりを散策した。高知県知事から京都府知事に転じた北垣国道は、明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため琵琶湖疏水の建設を計画した。疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようと。
東京の工部大学校を卒業したばかりの田辺朔郎を土木技師に採用した。高知県知事時代の知己・河田小龍に琵琶湖疎水工事の過程記録図誌作成を依頼する。
 琵琶湖疏水は着工から5年後の明治23(1890)年に完成した。琵琶湖疏水はまさしく京都に命の水をもたらしている。現役で活躍中である。(観光名所で、ドラマ撮影などの背景によく使われている)


松重閘門
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琵琶湖疎水水路閣
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2016年10月 1日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 258

    京都の方広寺と土佐の関係

 二十年程前には、京都へよく行ったものだ。東山区に国立歴史博物館があり、そこで開催される特別展では、興味深いものが多々あった。
 また、周辺にも史跡があり、訪ね廻ったことが思い出される。
 その頃「土佐林業史」の仕事をしていた。博物館の敷地を含む広大な敷地は、かつて豊臣秀吉が建立した「方広寺」跡地であったことを承知していた。
 天正14年、秀吉は太閤にまで出世した。そこで、自己顕示欲が湧いて来て、「大仏殿」を建立しようとした。奈良の東大寺規模を目指したものであったらしい。
 『太閤記』によると、日本中に良材を求めたところ、「第一土佐」であった。諸国材木の中で第一番と評価されている。
 『長宗我部盛衰記』には〈元親最大切の公事なれば子息(略)を伴ひ安芸郡奈半利の成願寺山に入て〉とある。このように、元親親子揃って直接やって来て指揮を執っている。四国や九州からも山林労働者が集まったと云う。

 方広寺の跡地を訪ねると、あちこちに巨大さが窺える石垣が残っている。本殿は失われているが、後に建立されただろう小坊がある。此所で尋ねてみると、当時の大きな釣鐘は残っているとのことであった。問題の釣鐘の鐘楼を訪ねると、立派な釣鐘であった。
 「問題の…」というのは、その鐘に「国家安康」と刻記されているからである。この文字を見た徳川家側が、家康の文字を離してあるのは問題だと言いがかりをつけた。
 本来の意味はそうでないことは言うまでもないが、徳川方は秀吉亡き後に豊臣方と戦う口実を探していたのだ。やがて、戦いが始まった。
 NHK大河ドラマ「真田丸」では、これをどう扱うだろうか。

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    長宗我部元親像
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2016年9月23日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 257

     ソウダカツオの新子を食べに

 今年のソウダカツオの新子まつりは、須崎市で9月3日におこなわれた。新聞報道によると、約5000人が集まり、大いに賑わったと云う。翌日は台風接近のため中止された。
 先の日曜日、中土佐町の大正市場へ次男に連れて行ってもらった。田中鮮魚店では、向かいの食堂で「ご飯セット」を注文して待つうちに、「新子」が運ばれる。カツオとサゴシの焼き霜造りも注文した。
 「新子」は、シンマエとも呼ばれる。「マルソウダ」の幼魚で、成魚は血合いが多いので生食されることは少ないが、この期のみに食される。話題のDHAやEPAが含まれ、脳の働きを活発にし血液をサラサラにするとか。成魚は、麺類等の出し用のソウダガツオ節に生産される。
 須崎の新子は「皮」付きの刺身である。
 「スマガツオ」と呼ばれるものもこの仲間である。田舎暮らしになって、生魚を食べる機会が激減した。もうすぐ新もののサンマがやって来る。待ちどうしい。戻りカツオのシーズンもまもなくだ。


 


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   いちばん下がマルソウダ


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