2016年9月23日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 257

     ソウダカツオの新子を食べに

 今年のソウダカツオの新子まつりは、須崎市で9月3日におこなわれた。新聞報道によると、約5000人が集まり、大いに賑わったと云う。翌日は台風接近のため中止された。
 先の日曜日、中土佐町の大正市場へ次男に連れて行ってもらった。田中鮮魚店では、向かいの食堂で「ご飯セット」を注文して待つうちに、「新子」が運ばれる。カツオとサゴシの焼き霜造りも注文した。
 「新子」は、シンマエとも呼ばれる。「マルソウダ」の幼魚で、成魚は血合いが多いので生食されることは少ないが、この期のみに食される。話題のDHAやEPAが含まれ、脳の働きを活発にし血液をサラサラにするとか。成魚は、麺類等の出し用のソウダガツオ節に生産される。
 須崎の新子は「皮」付きの刺身である。
 「スマガツオ」と呼ばれるものもこの仲間である。田舎暮らしになって、生魚を食べる機会が激減した。もうすぐ新もののサンマがやって来る。待ちどうしい。戻りカツオのシーズンもまもなくだ。


 


Dscf3805


Dscf3806_5
   いちばん下がマルソウダ


Dscf3801


2016年9月16日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 256

 中秋の名月
 
 今年の十五夜は、9月15日であった。高知では、あいにく雨模様であった。「ウサギ、ウサギ何みてはねる」の歌が思い浮かぶ。
 そして、百人一首、阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」の歌も。遣唐使で唐に渡った仲麻呂が故郷奈良県の三笠山の景を歌ったものだと言われているが
、
奈良盆地から三笠山に月が昇るのを見ることは物理的に不可能らしい。しかも、本歌取りなどが一般的であった時代のことである。
 卯年生まれの可愛い孫娘が、幼稚園の月組で元気いっぱい飛び跳ねている。今日は「おダンゴ」を食べたと、話してくれた。
 日本人は、月を見て「ウサギの餅つき」を連想する。中国ではウサギが薬を練っているとかいろいろ連想する。中国伝来の銘菓「月餅」も日本の銘菓になっている。
 中秋の名月を観賞する風習は、10世紀初めあたりに中国から伝来している。
『古事記』の国生み伝承では、イザナギが妻をあの世から引き戻すことに失敗して、この世に戻り「ミソギ」をした。そして、アマテラスとスサノオを生んだ。次に、「月読命(ツキヨミノミコト)」を生んだ。この神は、一般的にあまり知られていないが、農業神である。農作業で種まき等の作業時期を知るための暦の元になっている。
 現在は、9年前に打ち上げられた月探査衛星「かぐや」で月面の高精細な映像が公開されている。が、心に余裕がもてる世界に遊ぶのも楽しいことである。
 このところ、台風が相次いで夢を打ち砕かれているが、秋の気配を感じる。月の美しい夜もあろう。 

Dscf3795


Dscf3791


2016年9月 9日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 255

     琵琶湖の魚
 
 京都は、以前からよく訪ねる都市です。妻が車を運転していたときは、京都・奈良が定番でした。滋賀県へも足を伸ばし、そこで知り合った方とも未だに交流をしている。
 去る4日金曜日、NHK BSニュースで気になる放送を見た。京都大学の研究者が琵琶湖の魚を調べたところ、湖南部で採取したものにはマイクロプラスチックが含まれていた。
 今まで、大津市など湖岸地方では、洗剤の利用などによる洗濯水による汚染と、外来魚・ブラックバスやブルーギルなどの外来魚が持ち込まれ繁殖した。市民が、これを釣り上げて駆除する運動に参加している事例を以前紹介した。が、もっと厄介な問題が起きていた。
 琵琶湖名物のフナやモロコの体内にプラスチックの微細片が蓄積していると云う。このため魚類の本来の可食部量は、少なくなる。この異物を食べたための食害はないだろうか。プラスチックの微細片とは、レジ袋などの風化・劣化によるらしい。
 琵琶湖の古来からの固有種が、本来の姿では無くなっている。その生態系は、人間の行うさまざまの活動によって大きく変貌しつつある。環境先進県・滋賀県のポスター「MOTHER LAKU 1400年の記憶、1000 種の生命、そして1400万人を潤す水、母なる湖。あずかっているのは滋賀県です。」これは、数種類あり、なかなかオシャレな出来映えであった。
 南極大陸も地球温暖化で、氷が解け小さくなりつつある。それが海面上昇。異常気象に繋がっているのではないだろうか。この夏の台風の進路、気温の上昇。
 琵琶湖だけの問題ではない。私たちの出来ることはないのだろうか。


 

 
Dscf3787


Dscf3731


2016年9月 2日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 254

    高新・RKC主催の金婚式

 高知新聞社と高知放送主催の金婚式に出席した。県内6会場で催され、併せて522組の出席があったと云う。最初に50年史と云うか、昭和の歴史を物語るニュースをまとめた映像が紹介された。これにより、50年の人生を振り返るような雰囲気になった。

 昭和41年の学校の春休みに、結婚。当時、飛行機事故が頻発していたこともあり、新婚旅行は列車で出雲へ。今のように、温度管理が出来ていない時代であったから、沢山の荷物を提げての旅行だった。列車では、向かいの席に大学受験に向かう高校生が乗っていた。日の岬灯台の階段を上り、日本海の風景を堪能した。
 帰途は、岡山・宇野へと、だが難所・宇高連絡船。濃霧のため欠航。
国鉄の紹介で、倉敷でもう一泊。遅延証明書をもらい1日遅れで無事に帰ってきた。それから、50年。長いような短いような人生。あと何年元気で生きられるかなあ。

Dscf3778

Dscf3783


2016年8月25日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 253

 京都・宝ケ池

 息子のお盆休みに京都へ連れて行ってもらった。子供たちが幼い時に助けてもらった人が大津市に住んでいる。高齢のため施設に入っているが、望郷の心は強く、表現できる精一杯の所作で喜びを表現してくれた。
 繁忙期で、京都市のグランドプリンスホテルにやっと宿泊ができた。そこは、比叡山の麓で宝ケ池公園の傍にあり、国立京都国際会館も近く外国人の宿泊も多かった。ホテルのパンフレットに〈宝ケ池は、江戸時代中期に築造された灌漑用水池で、周囲は約1.8km(徒歩約30分)〉とあった。早朝に近所の様子を探りに行った妻によると、散歩やジョギングの人が多く、周辺は田圃を埋め立てた新興住宅地となっていると言う。立派な邸宅もあり、田圃も残っていて、我が家の近くの風景に似るらしい。元々湧水があったと言うから、朝倉と似ている。地理的に都の近くで…、こちらは鄙での違い?。

 高知市朝倉地区にある朝倉神社は、古代の格式高い天津羽々と斉明天皇の女性神を祀っている。皇室と縁の深い地である。鏡川の支流である神田川に流れ込む谷が沢山ある。男女(おめ)、網代(あじろ)谷等の小字がある。土佐道路(国道56号)沿いのフジグランなど大型店が集中する辺りからは、縄文・弥生時代の遺構も発掘されている。冷たい地下水により保存されたようだ。古くからの住民は苦労したらしい。神田川が本格的に改修される迄、度々の洪水に悩まされている。

 宝ケ池は、宝暦年間に農業用のため池としてつくられた人工池で、もともと湧水があった深田の東側に堤をつくってせき止めたものである。1855年(安政2年)に拡張工事が行われた。水不足に苦しんでいた溜め池は宝のように思われた。池の形が分銅型で、お金に例えられたとか、名称については諸説あるようだ。現在は、市民の憩いの場所となっている。

グランドプリンスホテル全景
Dscf3733


Dscf3758_4

2016年8月19日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 252

     安全と安心

 「熱い」も「寒い」もコントロールできる。しかし、見えないものや聞こえないものには、とても鈍感になる。それが少しづつ、ゆっくりとやってくると年寄りには、とても不安だ。

 長男は、愛媛大学工学部電気科卒である。入学時に、部屋を借りた大家さん曰く、「この部屋は、代々皆さん四国電力に入社しました…」と、誇らしげであった。卒業時に息子は、「原発はもしものときの担保がない」と当時先端企業のIT業界へ。次男は、祖父の出身地能登半島を旅した時、「原発のある海の魚は、食えない」と。予約なしの旅で、困った記憶がある。

 8月12日付高知新聞「伊方再稼働」の報道に…。最大手の東京電力でさえ対応できていない上に、「中央構造線断層帯」が横たわり、巨大地震の恐れが否定できない状況でだいじょうぶだろうか。犬のお巡りさんではないが、「困ってしまってワンワンワワン〜〜」。

 先日、お盆休みに滋賀・京都へ旅した。高速道の法面に、太陽光発電のパネルが張り付いていたり、民家や民間企業の屋根や壁面、発電畑と呼んだらよいのかな?と思うものさえ沢山ある。熱暑中のドライブ旅行で、屋根の日除けにしたらどうかな?とか思ってしまう。
 山の上に、巨大な白い風車が優雅にまわっている。これも発電をしている。
 化石燃料の高騰と地球温暖化防止を背景に、原発反対は気軽に叫べない。
照明だけではなく、オール電化が進んでしまっている。年寄りにも安全・快適な生活が求められている。
 実は、我が家も発電中なのです。留守中しっかり働いてくれただろうか。


Dscf2922


Dscf2928_2


2016年8月12日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 251

      野中兼山記念公園を考える

 昨年は、野中兼山生誕400年にあたっていた。
 藩政初期、兼山は二代藩主の信任を受け全藩的規模で、大規模な土木工事を行った。仁淀川の八田堰・物部川の山田堰等々。室戸港や手結港などの開発を行い、藩の財政が豊かになる基礎を作ったが、あまりにも急速的な改革であったため、不満が起こった。他の家老たちがそれを受けての上申書が出され、失脚した。
 兼山は、藩主・山内家の縁戚にあたり筆頭家老でもあった。「野中婉の会」の須田氏が提唱し、春野町公民館で会が持たれただけであった。市教委が若干後押しをしたが、残念であった。全県下で兼山を考える動きを期待していたが、ほとんど話題にもならなかった。
 
 最近、「地方創成」と言う声が高くはなっている。その種まきを行った兼山の時代にその視点を置くと、材料が沢山ある。NHK高知放送局のプロジューサーから兼山をテーマに製作してみたいとの相談があった。いくつかの問題提起をしておいた。その番組に期待している。
 高知城の表門、追手筋西端堀川渕に「野中兼山邸跡」の碑がある。「野中兼山の屋敷は、県立図書館・文学館を含む広大な一角で2,280坪と記されている」(土佐ボランテイア協会)。お堀の内側の住んでいたのである。
 県立図書館に勤務していたから、その周辺に兼山邸の遺跡を物語るものがいくつか出土していた話も聞いている。
 近く、図書館が撤去されるそうだから「野中兼山記念公園」と名付けた公園にしたらと思う。が、以前からその話はあり、立ち消えになっている。
 兼山の母親を埋葬してある墓の本山町「帰全公園」には、兼山の立派な銅像があり、シャクナゲも植栽されている。
 高知城内に縁の公園があってもよかろうと思う。
 
Dscf3709_2

  帰全公園の野中兼山像
Dscf2132


2016年8月 6日 (土)

広谷喜十郎の歴史散歩 250

     土佐は酒国あれこれ

 先週、高知酒造組合の第13回「土佐酒アドバイザー研修会」の講師として参加した。「土佐酒造りの歴史」をテーマに話した。
 この会合は、2〜3年毎に開かれている。初回から講師を務めている。受講生は、年々若い人が増えている。しかも、女性が多くなってきている。時代の変化を感じる。
 酒造りの歴史は、千年余の記録がある。それを一時間位での話で…と云うことで苦労した。土佐酒の特色は「淡麗辛口」と言われている。瀬戸内方面の甘口の酒と比して辛口は解るが、なぜ「淡麗」なのか。
 今上陛下がまだ皇太子であらせられた時に、大学の恩師と共に夕食に招かれた。その席で、「元気な酒ですね」と仰せられた話を紹介した。
 日本の古代を代表する文献に、かつては仁淀川を「神河(三輪川と唱う)」とあり、この河川の水で作られた酒を土佐の大神・土佐神社に貢納した。と、ある。ここで、奈良の三輪山の紹介をした。「一夜酒」の風があり、高知市介良の朝峯神社では、今でも(税務署の許可を得て)造っている。
 さらに、京都・嵐山の麓にある松尾大社は、渡来系の酒の神である。仁淀川沿いの土佐市の松尾八幡宮や高知市鴨田の松尾神社があり、かつては酒造家から厚く信仰されていた。
 平安時代(10世紀)に、この二つの系統の酒造りが統合されて、日本酒の原型ができた。
 中世末期になると、奈良興福寺『多聞院日記』に、火入法(低温殺菌法)による我国独自の清酒造りが始まったと、記録されている。興福寺の末寺・正暦寺には、「日本酒発祥の地」の大きな碑がある。
 
 土佐でも17世紀には、寒造りや先進の醸造法が向上した。坂本龍馬の先祖の才谷屋が大金持ちになった話につながる。
 享保9年(1724)、江戸幕府の著名な江戸町奉行・大岡越前守は、土佐と東北3藩の留守居役を呼び、各藩から産出される杉が高騰し、酒の価格が高くなったので、警告を発している。そこで、〈酒樽を造る杉のことは(略)江戸上方の売酒に適用する樽は(略)近年伐りつくして此頃は遠山で仕成し、流材その他で経費がかさむ〉と応えている。此の酒樽を運ぶ千石船を樽廻船と呼び、杉の移り香の酒が江戸の人々に、愛飲されたという。
Dscf3704

     奈良三輪大社内で
Dscf3720


2016年7月29日 (金)

広谷喜十郎の歴史散歩 249

     高知の空を最初に飛んだ人

 夏休みのシーズンになった。テレビや新聞の報道によると、海外旅行や国内旅行でも航空機を利用する人が多くなったようだ。悪天候や何かのトラブルが起きると、空港に人が溢れかえり、困った機会も多くなっている。
 最近、名古屋へ行く便が1日二便になった。妻と孫が、名古屋の動物園へ行きたいね。と、いう会話をしている。
 数年前、何度かJRで名古屋へ取材旅行に行ったことを思い出す。片道に半日を要した。帰りは、新幹線からの連絡は予讃線に都合良く組まれていたから、岡山駅でうろつくことも多かった。

 ここでは、高知県の空を最初に飛んだ人は誰か? 高知県人では誰か? 少し紹介しておきたい。
 明治36年(1903)アメリカのライト兄弟が世界で始めて飛行機を作ったことは、有名である。同じ年に、幡多郡拳の川(現・黒潮町)の種吾さんも飛行機製作を試み、足踏み回転式の機を製作している。大正2年(1912)には、宿毛市伊賀氏広が高知市朝倉練兵場に、機体を運び入れたが、滑走ばかりで空に挙がることができなかった。
 大正4年(1915)8月、荻山常三郎が来高し、高知の空始めて飛んでいる。同6年10月30日、アメリカ人の飛行家・フランク チャンピオンが来高し本格的な飛行を行った。10万人程の見物人が集まったという.しかし、二回目の飛行の時〈筆山を掠め(略)鴨田上空にて(略)風圧の為左翼切断し、400フィートの高空より無残や墜落したり〉と云う状態であった。彼の記念碑と忠魂碑は鏡川の広場に立っている。
 高知県人で高知の上空を最初に飛んだ人は、安芸市川北出身の安岡駒である。弱冠17歳で、大正9年のことである。

 1985年(昭和)8月12日、日本航空便(乗員・乗客524人中 520人死亡)の最悪の事故があった。御巣鷹山事故。先日、慰霊登山の準
備をされていた日航職員の方が転落し、亡くなられた。ご冥福をお祈りします。

  フランク チャンピオンの碑

Dscf3702

  名古屋国際空港
Dscf1648_3

2016年7月21日 (木)

広谷喜十郎の歴史散歩 248

      土讃線の開通

 日本の鉄道の発達には目覚ましいものがある。最近は、外国の鉄道にもその技術を売り込んでいる。
 1964年(昭和39)10月1日、東京〜新大阪間に東海道新幹線が開通した。10月10日〜の東京オリンピック開会に間に合うように、工事が行われた。

 1889年(明治22)5月23日 香川県議会議員の大久保諶之丞が讃岐鉄道開通式での祝辞で瀬戸大橋の架橋を提唱した。1955年(昭和30)5月11日 、 国鉄連絡船紫雲丸による紫雲丸事故。(修学旅行中の高知市立南海中学校生徒など死者168名)事故後、香川県議会が「宇高連絡鉄道建設促進に関する意見書」を国に提出した。
 1978年に工事が始まり、1988年4月10日に瀬戸大橋が開通した。鉄道の上が自動車道で、本州と四国が陸路で繋がった。高知県民の喜びはこの上ないものであった。この開通直前3月21日、高知学芸高等学校1年生は始めての中国への修学旅行に出発した。そしてあの事故に遭遇した。橋が開通していたなら、日程は違っていたろうと…。
 
 ここで、時代を少し遡ってみたい。四国山地を越える土讃線の歴史の方を少し見てみよう。明治中期頃から計画されていたが、本格的に建設が進められたのは、大正9年のことである。十市村(現・南国市)出身の白石直治が、この工事の主唱者の一人である。彼は、東大教授を経て、実業家となり、日本各地の鉄道工事に参加していた。やがて、衆議院議員となり、四国での鉄道開発の推進者として情熱を傾ける。当時の「カミナリ総裁」こと鉄道院総裁・仙石貢(高知市出身・後の鉄道大臣)は、四国での鉄道建設にあまり乗り気ではなかった。それを熱意を込めて説得した。
 険しい四国山地に遮られ、トンネルが百箇所余の難工事で停滞気味で、ようやく鉄道が開通したのは、昭和10年のことである。陸の孤島から解放された。それを記念して、昭和12年「南国大博覧会」が鏡川河岸で催された。連日、大勢の人々が詰めかけ大いに賑わったという。

 名古屋駅の新幹線列車
Dscf1404

   高知駅前の土讃線開通記念碑
Dscf3694


«広谷喜十郎の歴史散歩 247